心のきれはし―教育されちまった悲しみに魂が泣いている

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・心のきれはし―教育されちまった悲しみに魂が泣いている
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絵本作家の教育論。五味太郎の大人問題も良かったが、これもユニークな視点で教育のあり方を根本から変えようとしていて面白い。名作「はれときどきぶた」の児童文学作家 矢玉四郎が書いた教育論。

著者は子供のことを「子ども」と書く表記法を改めよと強く訴えている人である。教科書では小学校5年生までは「子ども」と書かれている。子という字は1年生で習うが、供は6年生まで習わないからである。だが一時的にせよ「子ども」「れん習」のような日本語の慣行にない醜悪な交ぜ書きを使うのは間違っている、日本語への冒涜だという。そういう欺瞞が大嫌いな人なのだ。(子ども表記問題には論点が複数ある。)。ストレートに本質に迫る物言いが爽快。

代表作のはれぶたと続編は私も大人になってから出会って以来、大ファンである。


・はれときどきぶた
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1980年に出版以来、子供に圧倒的に支持されて130万部のベストセラー。はれぶたシリーズ一作目。日記に書いたことが翌日、現実になる。主人公の日記はどんどんありえない内容にエスカレートしていく。明日の天気は「はれときどきぶた」と書いたら本当に天から豚が降ってきた。

はれときときぶたの後書きには「多くの人がまちがっていて、ひとりだけ正しかったということもよくあることだ。だから自分の感じたこと、考えたことはちゃんといえるようにならなくちゃいけない。」とある。

「仮に、創造性を養う授業がはじまったとする。子供は頭が柔らかいから、とんでもない発想をするだろう。肝心なのは、その評価だ。とんでもない発想を、教師が認めてほめるなどとは、とても思えない。結局、生徒は恥をかかされて、黙るのがオチだ。結果、創造性の授業が子供から創造性をうばうことになるのは目に見えている。 創造性というのは、現在あるものを否定する毒物だということがわかっていない。」

創造性を危険な毒物だと看破する部分に感動した。イノベーションは古い枠組みの破壊を伴う。飼い慣らされていない発想が必要なのである。敷かれたレールの上を走っていてはたどりつけない。だから登校拒否である!。

「日本の学校は、小賢しい人間を製造する工場となりはてた。世界が求める大愚大賢は育ちようがない。大愚とはたいへんなばかで大賢はとてもえらいということだ。「大賢は大愚に似たり」と、昔の人はいった。 登校拒否は大賢大愚のはじまりであり、子供が自分をつくりあげるための第一歩だ。この世にきて六年目に、教育工場のベルトコンベアーにのせられた子供は、成人するまで、むち打たれながら、品質向上の道筋をたどらされる。 登校拒否は自分の意志でベルトコンベアーをおりることである。行きたくないから行かない。こんなわかりやすく人間らしい行動があるか。」

個人的な教育改革者といえる全国何十万人の登校拒否経験者たちが、日本の未来を変えるだろうという。著者は終始、学校教育への痛烈な批判とそれから外れたものたちの可能性を熱く論じる。

「いちばん過酷な状況を生きた者こそが、子供になにを教育するかを述べるべきなのだ。」

この発想だけでは駄目だがこの発想がなくては駄目。そんな気にさせられる斬新な教育界へのメッセージ集。


・大人問題
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/08/post-798.html
これも絵本作家が語るオルタナティブな教育論として面白かった。

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このページは、daiyaが2008年10月16日 23:59に書いたブログ記事です。

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