2008年9月アーカイブ
「最初から百パーセント集中せよ」「相手の攻撃は最大のチャンス」「相手の長所を打ち砕け」「勝負の最中にリラックスするな」。北京オリンピック日本選手団に勝負の勝ち方を講義した有名な脳外科医によるベストセラー。
著者は「意識」「心」「記憶」は連動しているという「モジュレータ理論」を提唱している。脳内のドーパミン系神経群がその三者の連動させていると考えており、それを最適化することで、人間は潜在的な能力を開発できるという。
具体的には「サイコサイバネティックス」と呼ばれる行動理論を応用する。
1 目的と目標を明確にする
2 目標達成の具体的な方法を明らかにする
3 目的を達成するまで、その実行を中止しない
目的よりも目標を心掛けることが勝利の秘訣になる。オリンピックなどで優勝選手が「気がついたら一位になっていた」「結果は気にせずよいプレーを心がけた」というコメントをする選手がそうした原理で成功した人たちだ。精神論で猛練習ではなくて、楽しみながら集中しているうちに上達するということらしい。チクセントミハイのフロー理論にも似ている。
「モジュレータ理論」とともに「イメージ記憶」というキーワードも興味深い。野球のピッチャーが時速150キロ以上のボールを投げるとき、ホームベースに達する時間は0.45秒以下になる。一方、脳がボールを見て身体にスイングを命令し振り切るまでは合計で0.5秒になる。理論的にはバッターは150キロのボールを「よく見て」打つことはできない。見ていたら振り遅れてしまう。
「そのためバッターは、ピッチャーを投球動作をしている段階から、ボールが手元にくるまでの軌道をイメージ記憶をもとに予測して、バットを振るのです。だから、時速150キロ以上の豪速球でも打つことが可能になるのです。 経験を積めば積むほど、ボールの軌道の記憶はたくさん蓄積されていきます。バッティングの達人とは、過去に成功したときのイメージ記憶を膨大に蓄え、それをあらゆるボールに対して当てはめることができる人のことです。」
こうした能力を引き出すには、「意識」「心」「記憶」を適切にコントロールしなければならない。かなり心の持ち方が重要になる。練習では普通でも、大きな試合に出ると神業を繰り出す選手はそうした調整がうまい。勝負脳について著者は、三者を統合するモジュレータを最高に機能させる考え方を中心に教える。頭を使って運動能力と運動神経を鍛える「運動知能」論は科学的な精神論なのであった。
のだめカンタービレの音楽監修で知られる指揮者兼オーボエ奏者の茂木大輔氏が語るクラシック音楽鑑賞術。最初から最後まで庶民的でわかりやすい解説がクラシック音楽体験のハードルをぐっと下げてくれる。
「Sというのはむしろ「あまりに早く売り切れてしまわないため」に設けてある、「値段が特に高い席」であって、見え方聴こえ方が特別に優れているという根拠ではないことが多い。」
と言ったり、素人にはわかりにくい「演奏のよしあし」についてプロとしてこんな正直な説明をしている。
「演奏が、本当によかったか?」については、特別な場合を除いては楽団員全員に共通の印象などはなく、感想は個人バラバラで、つまり、我々自身が解っていない。<中略>ま、試しに勇気をもってデカイ音で拍手してごらんなさい。「あ!いまの良かったのか......」という具合で、周りの人もつられて、あっというまに拍手が倍くらいの音量になる。アンタも一気に尊敬の目で見られて「通」になっから。そんなもんだ。」
とはいえ、クラシックにはマナーや慣例があって、うかつに拍手をしてはいけないときもある。拍手が好ましいタイミングや、楽曲がまだ終了していないのに終わったように聞こえる「フライング拍手要注意曲目リスト」などが紹介されている。
ちなみに題名にある拍手のルールだが、拍手には音量、音程、密度の3要素と3法則があるのだそうだ。クラシックコンサートに限らず汎用的に拍手に通じそうな納得の分析のように思った。この基準は機械で拍手の成分分析するのに使えるかもしれない。
法則1:拍手の音量は拍手者の対外的表現意欲に比例する (社会的)大←→小(個人的)
法則2:拍手の音程は拍手者の感動の表面性に比例する (表面的)高い←→低い(内面的)
法則3:拍手の密度は拍手者の興奮度に比例する
それから私にとっての最大の収穫は「指揮者は何をしているのか」という、子供の頃からの素朴な疑問に丁寧な答えがあったこと。指揮者がオケを演奏するのがコンサートだという意味がよくわかった。
日本人の男女の声に変化があるそうだ。
女性 男性
1950~60年代 600ヘルツ 310ヘルツ
1970年代 520ヘルツ 350ヘルツ
1980~90年代 500ヘルツ 420ヘルツ
50年代から90年代までに女性は100ヘルツ低くなり、男性は100ヘルツ高くなった。半音以上違うということだ。この本によると原因はこの半世紀で男性は身長が高くなり、女性は社会に進出し高い声が特徴の女言葉を使わなくなったことなどにあるらしい。
もともと日本人は欧米人に比べて声が高い民族であるらしい。理由はひとつには背が低いからだ。背の高さと声の高さの関係には、ある係数を加えて反比例する「ファントの法則」がある。体が小さいと声帯などの発声器官のサイズも小さくなり、楽器と同様に小さいほど高い音を出すようになるのだ。聴く方の器官も同じだ。
「そのようにすべての部位が小さい人同士がコミュニケーションを交わす場合には、相手からの声は高いほうが聞き取りやすいし、聞き取りやすい声を出すためにも高くなるといった傾向が強くなる。この相互作用が繰り返されることによって、いたちごっこのように声は高いほう、高いほうへとエスカレートしていったと考えられる。」
もうひとつの理由は生活環境や文化にあった。広い草原や山岳地帯、木造建築に暮らすのに高い声が必要だったから、声は高くなったという。身体特徴や生活環境によって声は変わっていく。だから「声は民族を象徴する」と著者は結論している。
声の質には使用言語も影響している。欧米人は腹式呼吸で深い声を出すが、日本人は喉で出す声が多い。日本語が肺からのあまり空気圧を必要としない言語体系であるから、発声法が喉の筋肉を使った発声に最適化されているのだ。
日本人でも腹式呼吸はプロの歌手は当たり前のように使う。ボイストレーニングの基本は腹式呼吸の練習である。調査ではプロの歌手は腹筋80に対して、のどの筋肉を20使う。素人はその割合が逆になるという。体格が大きくて腹式発声の言語を使う欧米人とはちがって、日本人の深い声は意図的につくる必要があるわけだ。
発声の仕組みから、言語と声、民族によって好まれる声の違い、日本人が好む声(f分の1ゆらぎ)など、声に関する研究が広く取り上げられ、わかりやすく整理されている。日本人の、と題されているが日本に限らず、人間の声の魅力とは何かを考えるのに大変参考になる本だ。
・声のふしぎ百科 - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/12/post-322.html
・7秒のイメージ・マジックであなたの声はもっとよくなる―相手を説得する、声の印象が変わる、気持ちが伝わる
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003015.html
・Fastpanel
http://www.vector.co.jp/soft/winnt/util/se423127.html
ソフトウェアレビュー記事を書くたびにインストールされたプログラム数が増えていく。不要なソフトを削除する必要があるのだが、大量のプログラムがインストールされていると、Windowsの管理パネル「アプリケーションの追加と削除」の表示が極端に遅くなる。この問題を解決するソフトがFastPanelである。
まずインストールされたアプリの一覧を高速に表示する。ソフトウェアのアンインストールもこのソフト上から呼び出せる。
それに加えて、
・前回から新たに追加されたアプリを表示
・アプリへのタグ付け
・表示項目の選択
・レジストリ情報の修正(アプリ名、メモなど)
・アンインストール情報の強制削除
・ドロップされた実行ファイルからアンインストール情報を検索
・一覧の保存
といった機能がある。
プログラム発行元のページを開く機能を使うと、ソフトウェアメーカーのサイトをブラウザーで開いてくれる。最新アップデート情報をとるのに便利だ。
・ブライアン・トレーシーの 話し方入門 ー人生を劇的に変える言葉の魔力
「カエルを食べてしまえ!」の著者ブライアン トレーシーが語るスピーチの秘訣。講演や営業交渉の仕事をする人向けの良書。入門書ということだが、むしろいつも話す仕事をしている人が自分の技量の見直しをするために役立つ内容だと思った。
「人前で話す恐怖や緊張感に打ち克つ第一歩は、演壇に立つとき、客席の全員があなたの成功を願ってくれていると思うことだ。これは映画を見にいくのに似ている。あなたはその映画が駄作で、時間の無駄になると思いながら見に行ったことがあるだろうか?もちろん、ないはずだ。映画に行くときは、それが優れた映画で、その時間とお金に見合う価値があることを願い、期待している。スピーチをするときも同じだ。」
このアドバイスが物凄く参考になった。
私も授業や講演の開演前の不安は感じる。演壇に立つと客席の最前列には仏頂面の人(実は熱心な聴衆)が座っているのが見える。そして後ろの方にはやる気がなさそうに斜めに構えた人たち(実は終了後名刺交換にきてくれる聴衆)が遠目にこっちを見ている。この人達、私がこれから話すことに、いいがかりをつけにきたんじゃないか、とさえ思う。このまま講師VS聴衆という意識になるとスピーチは堅さがとれず盛り上がらない。そこで下手なジョークや迎合トークを繰り出してアイスブレークを試みると、まだ笑う雰囲気じゃないために失笑のドツボにはまっていったりする、のである。ああ。
「プロ講師たちによく知られている言葉に、「演壇の特権」というのがある。演壇に立つときは、こういう人たちに自分の考えを語れるという素晴らしい特権を得ているのだと考えよう。こうして感謝すればするほど、ひと言ひと言に、ますますポジティブな気持ちになり、熱を込めることができる。」
聴衆を味方と思う発想が自信と余裕を生み出しスピーチの成功につながると、世界的に有名な講演家である著者は教えている。会議や交渉では、相手を受け入れる、感謝する、ほめる、賛同する、気を配る、一致点を見つけることが説得力を増す秘訣という。ここでも話し手と聞き手の壁を取り払うことが大切としている。
アリストテレスは説得に必須の要素をロゴス(論理)、エトス(倫理観、信憑性)、パトス(感情)といったそうだ。準備と練習でロゴス、パトスはかなり用意できる。当日の現場でパトスをどうデザインするかに極意があるようだ。「人々の共感を得、心底から感動させることができなければ、考え方を変え、特定の行動を取らせることはできない。」
気になったヒント3つ抜き出してみた。
「「昔むかし......」は、聞き手を引きつける最強の文句である。」
「論点のところでは、ゆっくり話し、ちょっと間を取り、微笑みかけるといいでしょう」
「華々しく終わるには、まず結びの言葉を考えることだ。そこから逆戻りして、冒頭の言葉を工夫する。」
・たった2分で人の心をつかむ話し方(CD付)
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/10/cd-1.html
・「頭がいい人」が武器にする 1分で話をまとめる技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004383.html
・「感じがいい」と言われる人の話し方
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004992.html
・話し方の技術が面白いほど身につく本
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001029.html
・人生を変える黄金のスピーチ〈上〉準備編―自信と勇気、魅力を引き出す「話し方」の極意
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001456.html
・人生を変える黄金のスピーチ〈下〉実践編―自信と勇気、魅力を引き出す「話し方」の極意
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002404.html
・人を10分ひきつける話す力
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003857.html
・「できる人」の話し方、その見逃せない法則
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000445.html
・ハーバード流「話す力」の伸ばし方!―仕事で120%の成果を出す最強の会話術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000228.html
・その場で話をまとめる技術―営業のカリスマがその秘密を大公開!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003713.html
三島由紀夫の文章読本。そもそも最初に「文章読本」を書いたのは谷崎潤一郎だった。川端康成や三島など多くの文豪たちが追随して同名の著作をそれぞれ書き下ろしている。読み比べると面白い。文章の書き方、読み方を教える内容という点では共通しているが、作家によって実用的な文章指導であったり、高尚な芸術論であったり、個人的な感慨エッセイ集だったりする。
三島由紀夫の文章読本は、書き手の実用性という面ではほぼゼロだ。一部に技巧論はあるのだけれど、読者が到底真似の出来ないようなことを書いている。たとえば会話文をどう書くべきかについては、米国の作家の意見を引用する形で、
「小説の会話というものは、大きな波が崩れるときに白いしぶきが泡立つ、そのしぶきのようなものでなければならない。地の文はつまり波であって、沖からゆるやかにうねってきて、その波が岸で崩れるときに、もうもちこたえられなくなるまで高くもち上げられ、それからさっと崩れるときのように会話が入れられるべきだ。」
などと感動的なほど抽象論を述べているし、方言の書き方という点では、
「谷崎氏は『卍』を書くに当たっては、大阪生れの助手を使ったと言われますが、私の如きなまけ者は、『潮騒』という小説を書くときは、いったん全部標準語で会話を書き、それをモデルの島出身の人に、全部なおしてもらったのであります。」
これもエピソードとして面白いが、普通の読者にとっては実用性はほとんどない気がする。この文章読本は実用書というよりも、三島のオレサマ独断文学評論である。日本の文学とは、西洋の文学とはこういうものだ、とずばり豪快に言い切る。面白い。
「日本文学の特質は一言を持ってこれを覆えば、女性的文学と言ってよいかもしれません。」「(日本文学は)抽象概念の欠如からはじまった」「日本語の特質はものごとを指し示すよりも、ものごとを漂わす情緒や、事物のまわりに漂う雰囲気を取り出して見せるのに秀でています。」「西洋的な意味でのロマーンはまだまだ日本にはあらわれていない」
女々しい日本文学という批判的総括は、ロマンチストであると同時に行動派の三島らしい見方だなと思う。そしてアポロン的文章のお手本として鴎外、ディオニソス的文章のお手本として泉鏡花を挙げている。論理的でありながらも、日本的情緒の伝統を踏襲した文章を理想としているようだ。他にも自然描写、心理描写、人物描写、会話など各論で古今東西の小説から文章を長めに引用してお手本とする。どの項目も厳選されていて説得力がある。
何カ所か辛辣な批評もある。これなんかはかなり笑えた。何か気に入らないことがあったのだろうか。
「われわれはよく一流の外国文学者の如何にも嫌みな文学青年くさい翻訳文にお目にかかります。彼等は学者としては一流であるかもしれませんが、若い時代に小説家や詩人になろうとして、才能がなかったためにそれが果たされなかった夢を、自分の翻訳の仕事のなかにもちこんで、外国の秀れた作家たちを自分の不思議な文学癖というよりも、青くさい文学癖、同人雑誌流の嫌みな文学趣味やキザな言葉遣いなどでゆがめて汚してしまうのであります。」
付録の「質疑応答」は豪華なおまけだ。「人を陶酔させる文章とはどんなものか」「エロティシズムの描写はどこまで許されるか」「小説第一の美人は誰ですか」「いい比喩とはどういうものでしょうか」など仮想の質問に答える形で、明確な答えが書かれている。
・自家製 文章読本
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/07/post-797.html
・文章のみがき方 - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-737.html
・自己プレゼンの文章術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004915.html
・日本語の作文技術 - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/10/post-641.html
・魂の文章術―書くことから始めよう - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/05/post-564.html
・「バカ売れ」キャッチコピーが面白いほど書ける本
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004702.html
・「書ける人」になるブログ文章教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004805.html
・スラスラ書ける!ビジネス文書
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004499.html
・全米NO.1のセールス・ライターが教える 10倍売る人の文章術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004488.html
・相手に伝わる日本語を書く技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003818.html
・大人のための文章教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002489.html
・40字要約で仕事はどんどんうまくいく―1日15分で身につく習慣術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002286.html
・分かりやすい文章の技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001598.html
・人の心を動かす文章術
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001400.html
・人生の物語を書きたいあなたへ ?回想記・エッセイのための創作教室
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001383.html
・書きあぐねている人のための小説入門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001082.html
・大人のための文章法
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000957.html
・伝わる・揺さぶる!文章を書く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002952.html
・頭の良くなる「短い、短い」文章術―あなたの文章が「劇的に」変わる!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003740.html
人権、人間の尊厳、人間性という言葉は現代において絶対的な価値として認識されている。しかし、そもそも人間とは何か、人間と非人間の違いは何かを考えてみると、簡単には答えがでないことに気がつく。
生物学の「種」という定義の根拠は意外に曖昧なものである。ネアンデルタール人のような古生物学的な人類の祖先たちと、現生人類は違うのかはいまだに揉めている。最新の遺伝子工学は人間のゲノムを完全解析して、ある意味で人間の定義を完成させたか。だが、人間の遺伝子の95%はチンパンジーと同じであるということも同時にわかってしまった。生物学的根拠において人間と他の動物を区別する明確な境界は見つからない。
「人間の定義をしようと格闘してきたことがどのように解決されたかの歴史は、驚くほど非合理的な選択基準の採用によってころころ変わり、それらを正当化するためにいかに不適切に科学が使われたかの、長い歴史である。」
人類は人間の境界を文化的な面に見出そうともしてきた。中世の西欧人たちは彼らから見て辺境の人間を、異教で未開だとして、野生の人間、野蛮人と呼び、自分たちと一線を画すものとして扱った。だが、現代になると文化は多様であり、すべては相対的なものであることが明らかになっていった。
「人間だけが理性的である、知的である、霊魂を持つ、創造性がある、良心を持つ、道徳的である、神に似ている、というのはみな神話であるようだ。多くの証拠がそれに挑戦しているのに、私たちがしがみついている信仰の対象であるように思われる。」
この本は読めば読むほど、人間と非人間の境界線を引くことの難しさ、歴史上それがいかに恣意的に動かされてきたかを知ることになる。生物学的、文化的な人間の定義の変遷が面白い。たった数百年間に人間の定義は重要な部分で変わっているのである。
現代は遺伝子操作やクローニング技術、そして人工知能、人工生物の登場によって、人間の定義について新たなコンセンサスをつくらねばならない時代なのでもある。人間の境界をどこにおくかによって、胎児、終末期の患者、昏睡状態の人、重度の精神障害のある人、老齢で認知症の人、その他死に近い人々などの扱いが左右される。人間の境界とは何かは哲学的な問いに終わらない問題なのだ。
この本で一番、印象に残ったセンテンスがこれだ。
「私たち自身、人間とは何を意味するかを知らないのだから、何が人間を人間たらしめているのかを知らないのだから、ゆえに、それを失くしても気づかないだろう。」
まだ雑誌連載中の漫画。これは面白くて単行本で最新刊まで読破。早く次が出ないかな。
へうげる=剽げるとは「ふざけている」「おどけている」という意味。
「群雄割拠、下剋上の戦国時代。
立身出世を目指しながら、茶の湯と物欲に魂を奪われた男がいた。
織田信長の家臣・古田左介(ふるたさすけ)。
天才・信長から壮大な世界性を、茶聖・千宗易(利休)から深遠な精神性を学び、「へうげもの」への道をひた走る。
生か死か、武か数奇か。それが問題だ!! 」
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた武将で茶人として知られる古田織部正の人生を描いた歴史漫画。好事家の古田は群雄割拠サバイバルの戦場でも、趣味の茶道や美術のことが頭から離れない。武士の道にいきようと心に誓うが、戦火で焼失しそうな陶芸の逸品などをみると、戦いもそっちのけで手に入れようと身体が動いてしまう。
最近の流行語に「ワークライフバランス」という言葉があるが、仕事にせよ趣味にせよもバランスを取ろうとして取れるものならたいした問題じゃないのだと言える。それが好きで好きで仕方がなくて死ぬほど没頭してしまう人が問題なのである。
戦国時代が収束して中央集権体制が固まろうとしている時代。古田織部と千利休は数寄の世界に絶対的な自由を求めた表現者たちであった。その志向性は独裁者の意向と次第に対立し始める。二人とも芸術家なのに、最後は為政者から切腹を命じられて死んでいる。芸術表現の可能性とヤバさがテーマである。
戦国時代の歴史ものが好きな人におすすめ。本能寺の変の黒幕はあの人だったとか歴史の大胆な解釈もある。
・へうげもの official blog
http://hyouge.exblog.jp/
・「へうげもの」
http://e-morning.jp/flash/heuge.html
・PDF Watermark Creator
http://www.coolpdf.com/pdfwatermark.html
PDFで文書を配布する際に、全頁に会社名やConfidentialとかDRAFTなどのマークを透かし文字で入れたいことがある。このフリーソフトはそれを簡単に実現する。既存のPDFファイルを読み込み、オプションを指定するだけの簡単操作。
テキストの前面に入れるか背面に入れるか、位置、フォントの種類、カラーなどを指定することができる。
提案書、企画書の草稿をメールでやりとりするときに「DRAFT」「CONFIDENTIAL」と入れておくと、ファイルが独り歩きするのを防げてよさそう。
全頁にいっぺんにマークが入るのが便利。
「
「スプリット・タンって知ってる?」
「何?それ。分かれた舌って事?」
「そうそう。蛇とトカゲみたいな舌。人間も、ああいう舌になれるんだよ」
男はおもむろにくわえていたタバコを手に取り、べろっと舌を出した。彼の舌は本当に蛇の舌のように先が二つに割れていた。私がその舌に見とれていると、彼は右の舌だけ器用に持ち上げて、二股の舌の間にタバコをはさんだ。
」
9月20日から蜷川幸雄監督による映画(R15指定)が公開されている。原作は第130回芥川賞(綿矢りさと共に話題になった)、すばる文学賞ダブル受賞作品。芥川賞というと淡々とした短編が多い印象があるのだが、この作品は最初から最後まで官能と暴力の刺激に満ちている。推理ミステリ要素もあったりで難しいことを考えずに楽しめる作品。
スプリットタンを施し、腕には刺青を入れ、髪を赤く染めた恋人のアマ。表情がわからないくらい顔中にピアスをした専門ショップ経営者のシバ、そして、身体改造にあこがれる主人公の女性ルイ。アマの友人シバの手でルイの身体改造が進むのにあわせて、3人の微妙な関係が緊張感を孕んでいく。
身体改造者の生態や心理の描写がリアル。彼らは喪失感を埋め合わせるために、身体改造によって、自己の存在に意味を与えようとする。傷や痛みで生を確認しようとする。世間から排除される印を自らに刻むことで、排除される者という自己のアイデンティティを確保しようとしているように思える。
身体改造の情報はインターネットにもいっぱいある。この種の情報流通はまさにネット向きだったのだろう。身体改造者が書いたブログやコミュニティも多く見つかる。興味を持つ人や、やっている人の数は増えているのかもしれない。
刺青や割礼、纏足や首輪など、人類の長い歴史の中では身体改造はかなり普遍的なものだ。それを施していないと、一人前の成員になれない社会も多くあった。身体改造をやっていない人のほうがヘンだった時代の方が長いくらいだろう。ヘンと普通は逆転したが、排除の現場にギリギリのドラマが生まれる構造も普遍的といえそう。
・BME
http://www.bmezine.com/
Wikipedia「身体改造」から「 - 世界最大級の身体改造サイト。」として紹介されているサイト。あらゆる身体改造について、情報と写真が投稿されている。
映画は予告編だけ見たが原作に忠実につくられていそうでとても期待である。
・映画 蛇にピアス 公式サイト
http://hebi.gyao.jp/
このソフトは用途がはっきりしていて素晴らしい。
セミナーや研究会、発表会の運営に関わる人は知っていると便利だ。
・用紙いっぱいに印刷 aorist
http://www.vector.co.jp/soft/win95/writing/se113141.html
文字を大きく用紙に印刷する。
イベントで、
・入り口、出口、控え室、トイレなどの案内表示
・演壇に張る講師の名前や肩書きの表示
・イベント名や演題の表示
などをつくるのに重宝する。あらかじめよく使われそうな言葉がプリセットされているのが魅力だ。いきなりイベント担当者に任命されたときは、何をつくったらよいのか分からないものだから。
2*2枚だとか3*3枚のように複数の用紙を上下に連結させて、垂れ幕のような大きな印刷物をつくることができる。最高で32*32枚(1024枚)の設定まで用意されているが本当に作ったらどのくらいの大きさなのだろうか。
フォント変更や陰影つけ、画像の挿入(会社のロゴなど使いそう)、枠や背景設定などが可能で、凝った表示をつくることもできる。
・FastCopy
http://www.ipmsg.org/tools/fastcopy.html
何十分、何時間もかかるようなファイルの大量コピー処理時間をかなり短縮するコピー作業の効率化ツール。自動的に、コピー元とコピー先が同一の物理HDDか別HDDかを判定し、それぞれに最適なコピーのプロセスを実行する。
説明書によると、
別HDD間:マルチスレッドで、読み込みと書き込みを並列に行う
同一HDD間:コピー元から(バッファが一杯になるまで)連続読み込み後、コピー先に連続して書き込む
という方法だそうだ。
タスクトレイに常駐して背後で処理を静かに実行する。OSのキャッシュを使わないため、デスクトップの他の作業に影響がでにくいようにも設計されている。
差分、同期などバックアップのオプションが多彩で、バックアップツールとして汎用的に使える。
"コピー"という一見単純な処理も、技術的に極めるには奥が深いのだなと感心してしまう。
毎度ですが、テレビとネットの近未来カンファレンス 第13回開催のお知らせです。
「ネット動画はCMの世界をどう変えるのか?」
〜CGA(Consumer-Generated Ad)の時代へ〜
CMスキップ、テレビ離れが叫ばれる今日この頃、ユーザー参加型のネット動画を中心とした新たなCMの垂直展開に、広告主側も注目しはじめました。
マス媒体でのCM展開とネット動画との差異化、広告主の心情の変化、CM作品における消費者参加の現状、この流れは主流となるのか?はたまた、一過性のブームで終わるのか?もしくは共存できるのか?CGAに取り上げられることによってのスポンサーのメリットは?デメリットは?広告代理店のビジネスモデルはどう変わるのか?
欧米のネット動画事情もふまえて、CGAのあるべき姿をディスカッションします。また、CGAに対する企業からの「レスポンス動画」もさかんになっています。
EA Walk on Water TigerWoods
http://jp.youtube.com/watch?v=FZ1st1Vw2kY
Samsung Omunia Unboxing
http://jp.youtube.com/watch?v=QQlzX7EyIwU
そして今回、ゲストスピーカーに、CGAに関係深いプレイヤーの皆さんをお招きし、デモ&ディスカッションを開催いたします。
【ゲストスピーカー】
株式会社エニグモ
filmo プロデューサー 有田智治
http://www.enigmo.co.jp
消費者参加型CM制作ネットワーク「filmo(フィルモ)」
http://filmo.tv/
芸者東京エンターテイメント株式会社
代表取締役CEO/ファンタジスタ 田中泰生
http://www.geishatokyo.com/index.html
http://www.geishatokyo.com/entertainment.html
株式会社ムービーインパクト
代表取締役 神酒大亮
http://www.movieimpact.net
Youtubeの勝手広告チャンネル
http://jp.youtube.com/user/000521
株式会社リクルート
メディアテクノロジーラボ チームリーダ 長友肇
コマーシャライザー
http://cmizer.com/
株式会社メタキャスト
http://www.metacast.co.jp/
チーフヴィジョナリー井上大輔
Mitter
http://mitter.jp/
■イベント開催概要
【日時】2008年10月09日(木)
18:30-20:45(セミナー)
21:00-22:30(懇親会)
【場所】東京ミッドタウン カンファレンスホール
【費用】セミナー5000円 懇親会3000円
【協賛】CNET JAPAN
【申し込み】
幼稚園児の息子は音楽が好きそうなので、ヤマハ音楽教室に通わせている。期待しているわけではないのだが、このくらいから始めたら絶対音感がついたりして、なんて思うのは、やはり期待しているのか...。
私からすると「絶対音感」は正直羨ましい能力である。同世代の友人にも絶対音感を持つ人がいた。彼はガラスが割れる音が音階で聞こえると話した。でも、いいことばかりじゃなくて、街で流れるBGMとか音が微妙にずれていることがあって、気持ちが悪くなったりするんですよ、と嘆いている様子がまた、羨ましいのであった(笑)。
「絶対音感」とは何か?。それは音楽的天才の証なのか、何人に一人くらいが持っているのか、何ができるのか、本当に幼少期にしか身につけられないものなのか、その特殊能力の科学的な根拠は?。200人以上の音楽家、脳科学者、心理学者、音楽教育関係者にインタビューし、その神話の正体を明らかにしていくドキュメンタリ。
脳科学的な根拠は発見されていた。同じ周波数で一定の刺激を与え続けると、対応する脳内の回路が強化されて、その周波数に対する感受性が強くなることがわかっている。
「つまり、こういうことだろうか。あらゆる周波数に対して敏感な幼児期に、ある音をその音名という言葉と共に繰り返し聴かされることによって、その音に対応する周波数のカテゴリが固定され、それがドならドといった言葉と共に記憶されているのが絶対音感。いうなれば、ドレミという名のついた階段のような周波数の受け取り皿が脳につくられるようなものだと。」
絶対音感を持つ人間は次のようなことができやすくなるそうだ。
1 ほかの音と比べなくても音名が瞬間的にわかる。
2 調性がはっきりしない曲や、頻繁に転調する曲でも聴きとれる。
3 耳から聴いただけの曲を、弾いたり楽譜に書くことができる。
4 音として覚えるので、暗譜が正確にでき、長持ちする。
5 音楽のルールやセンスを早く身につけられる。
6 音楽に関すること全般が、たやすくできるようになる。
だから、絶対音感を持つ人は、自然に音楽家として成功しやすくなる。絶対音感は天才の証ではないし、創造的な音楽家の必須条件でもないのだが、優れた才能を支える道具としては大きな役割を果たすものである。
世界的に見ると日本は絶対音感の幼児教育が非常に発達していて、絶対音感の能力者を大量生産しているそうだ。絶対音感獲得を売りにする教室の取材からは、幼児教育における親たちの異様な熱気が伝わってくる。この本を読んで気がついたのだが、絶対音感は、持っている人は特別な能力と思っておらず自慢もしないが、もっていない人が、やたらとうらやましがる能力なのだ。
絶対音感の遺伝性は最新の科学では否定されている。天性のものではなくて、後天的に学ぶ学習なのだ。3歳から6歳の時期に集中的な訓練を行わないと身につけることは難しくなる。だから、絶対音感というのはその子に音楽を学ばせたいという「親や教師の明確な意志の刻印」なのだと著者は結論している。
音楽家の道に進むには有利に働くはずの絶対音感だが、意外な落とし穴もあるらしい。日本のピアノのAは440ヘルツだが、カーネギーホールをはじめ世界のコンサートピアノはA=442ヘルツと高めに調律されている。日本のピアノで絶対音感を身につけて世界舞台に出ると違和感を感じるそうである。五嶋みどり親子らの苦悩の体験が語られている。
すべてがドレミ音階に聞こえてしまい歌詞や音色を楽しめない。移調されると気分が悪くなるなど、デメリットも結構あるらしい。。どうやら音楽を気楽に鑑賞するだけの人にとっては、むしろ、ないほうがよい能力のようでもある。
98年初版ベストセラーの文庫化。絶対音感という神話を、実に多方面からのインタビューで解体しており、とても読み応えがある内容だった。音楽教育や学習理論、認知科学に関心のある人に特におすすめ。
・絶対音感トレーニングDS
http://www.success-corp.co.jp/software/ds/onkan/
NintendoDSのソフトで絶対音感の診断と訓練ソフトを発見した。でも訓練しても、私にはもう無理なんですよね。こどもと、すでに持っていて自慢したい大人向け、だそうです。
・お笑いで支店長になりまして―年間約二百回の講演をこなすユーモアコンサルタントがおくるビジネス対人術
お堅い雰囲気の信用金庫勤務時代に「お笑い研究会」を旗揚げし、地域への貢献が認められて支店長にまでなった「ユーモアコンサルタント」のお話。ビジネスにおける笑いの効用を研究した著者は「人を笑わせることは、特にビジネストークにおいては、性格の問題ではなく、技術の問題なのです。」と結論している。
「技術」といっても決して高度なものではない。その気になれば、誰にでもできそうな笑いへの取り組みや考え方を紹介している。たとえば「ユーモアトーク」の例は、
「この問題のラベルは、大変高いのです」(レベル...)
「私は、この分野ではエキスパンダーといわれています。」(エキスパート...)
「昔からよくいわれています、備えあれば・・・備えあれば嬉しいな」
という感じで、字面だけ見たらばただのオヤジギャグである。だが、表紙の写真の著者がニコニコしながらこれを喋れば、場が楽しい雰囲気になるだろうなというのは、容易に想像できる。
私の尊敬する先輩社長と似ているなあと思った。その社長は会社の中でしばしばベタなオヤジギャグを言っている。本人もそんなことを言えばベタでオヤジくさく見えることを意識している。でも、チームを和ませたいという意図が伝わってくるので、みんな半分お愛想で笑う。でも、そうやって笑っているうちに、場は本当に和んでいる。すごくいい社長だと思う。
ビジネスの現場では、お笑い芸人のような洗練されたショウが求められているわけではない。場を良い雰囲気にしたいと思って話していることが周りに伝わることが大切なのだろうと思う。
「ビジネスにおいては、人に優しい笑いを心掛けていただきたいのです。お客様を愉快にさせてあげたいとか部下や同僚を楽しませてあげたいとの気持ちで笑いを発信してください。」
「協調の笑い」「笑いの誘因作用」「リセットの笑い」「シーソー理論」「太鼓持ち理論」など笑いの効用がまとめられている。特に「シーソー理論」がよかった。誰かを貶めて笑うのではなく、自分を笑いのネタにせよというアドバイスだ。
「失敗談も自分の失敗談を面白おかしく話せばよいのです。お客様とあなたがシーソーをしているところをイメージしてください。あなたが下がっているときは、お客様は勝手に上がっていますね。あの感じです。」
落とすときには自分を下げて、相手を持ち上げる笑い話をしなさいと勧めている。これって、うまくやるには自分に相当の自信がないとできないものだと思う。自虐的に見えたりしたら失敗だ。やはりユーモアとは余裕の証なのである。
講演記録風の読みやすい本で、すらすらっと読めて楽しかった。ユーモア論というと、欧米人のユーモアを引き合いに出す本が多かったように思うが、日本人の社会には馴染まない部分もある。この本はその点、関西お笑い風だ。わかりやすい。日本人の普通のビジネスマンが笑いをどうビジネスに活用するか、実践的な方法論の本である。
・笑って元気
http://blog.livedoor.jp/yano5151/
著者のブログ。
・もっと笑うためのユーモア学入門
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000892.html
・「人志松本のすべらない話」と「必笑小咄のテクニック」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/08/post-425.html
現代アメリカ文学の巨匠コーマック・マッカーシーが描いたSF文学。ニューヨークタイムズのベストセラーリストに30週以上ランクインし170万部のセールスを記録したピュリッツアー賞受賞作品。
世界は終わろうとしている。地上のあらゆるものが焼き尽くされ灰をかぶっている。空は分厚い雲に覆われ、雪を降らす。気温は下がり続けている。植物は枯れ果てた。人類の多くは何年も前に死に絶えたが、生き残ったものたちは飢え、残り少ない食糧を争って、殺し合っている。
「少年はなかなか眠らなかった。しばらくして身体の向きを変え父親を見た。かすかな明かりに照らされた父親は雨で顔に黒い筋がつきまるで古い世界の悲劇役者のようだった。一つ訊いていい?と少年はいった。
ああ。いいよ。
ぼくたち死ぬの?
いつかはな。今はまだだ。
やっぱり南へ行くんだよね。
そうだ。」
父と幼い息子はこの絶望的な状況に出口を求めて、遠い南の海を目指す。荷物を積んだショッピングカートを押しながら、二人は破滅していく世界を歩き続ける。略奪者たちの影に怯えながら、食糧確保と安全な寝場所の確保が課題の日々。父は息子を自分の命に代えても守り通そうと決意する。
ここは極限的な性悪説の世界だ。万人が原初的な闘争状態にある。他者を見たら、奪われる、殺されると思わないと、生きてはいけない。温情は禁物である。他人に何かを与えればそれだけ自分の生きるリソースが目に見えて減るのだ。誰も人を信じることが出来ない。
世界の破滅以降に生まれた息子にとって、父だけが唯一の信じられる人間だ。父は苦難の旅のなかで、かつて存在した世界の様子を教え、息子の心に希望の火を点そうと努力する。
パニックSFの緊張感と文学的な深さを兼ね備えた傑作である。映画化が決定している。映画史に残るような、究極のロードムービーになるかもしれない。
・MPPMP-300BK Pivi MP-300 モバイルプリンター
ポラロイドがインスタントカメラから撤退した結果、フジフィルムのチェキやPiviがよく売れているらしい。昔結婚式で使った古いチェキが1台家にあるのだが、カメラのサイズが大きく、電池が特殊なのであまり使わないで放置していた。
Pivi MP-300は普通のデジカメで撮影した写真をPiviフィルムに出力するモバイルプリンター。いつもの使い慣れたデジカメやカメラ付き携帯電話が使えるのがうれしい。撮影後に出来を見て選んでPivi出力ができるようになった。電池駆動なのでプリンターを持参すれば、みんなでその場で写真をシェア可能。
Piviで現像した写真をスキャナーでデジタル化すると、お手軽に雰囲気のあるイメージができる。縁は消さずに取り込んだ方が良いようだ。デジカメ時代にこのアナログ感が逆に新鮮。私のブログでは似合わないけれども、ファミリー系、ガーリー系のブログにしっくりきそう。
デジタルカメラから赤外線通信機能を使ってプリンタに写真データを送信する。USB接続も可能。日付入れボタンとシャープ化ボタンを押しておくとそれぞれの効果がかかる。使い方はほぼそれだけ。
・Yuryu's Battery Information
http://www.vector.co.jp/soft/winnt/util/se236396.html
携帯やパソコンはバッテリーの残り容量表示が当てにならなくてイライラすることって多い。さっきまで3分の1残っていたのにいきなり電池切れになるだとか、メーカー発表の持続時間と実利用が異なっていたり。ユーザーが第三者機関でも作って、残量表示のアルゴリズムをオープンに決めるべきなんじゃないの、とさえ思う。
Yuryu's Battery Informationはバッテリデバイスの詳細情報を取得する。残り時間の他に、製造メーカー、電圧、設計容量、現在の容量、放電速度など、普段は目にすることがない技術情報が把握できる。もちろん使っても、バッテリの持続時間が延びるわけではない。
パソコンを買ったばかりの人は新しいバッテリーの状態をスクリーンショットで保存しておくとよいと思う。1年、2年使って電池の劣化度を確認することができるはず。
大人なビジュアルブックを2冊紹介。
宇宙人?新種のアメーバ?ジュヌビエーブ・ゴクレールの描く、へんてこな生物たちの男女が出会い、恋に落ち、セックスし、子供を産み、そして死んでいく。何十世代にわたるへんてこな生物の系譜が起承転結なく延々と続く。そこには天才もいれば怠け者もいる。有名人も殺人犯もいる。一人として同じ人生はない。
何の脈絡もなく多様な人生模様の連続を見続けるうちに、結局、生きるっていうのは、最初に生と最後に死があってその間に愛がある。ただそれだけなんだなと気づかされる。ユニバーサルなメッセージとして響いてくる。へんてこな生物が自分自身のように思えてくる。
・Genevieve Gauckler
http://www.g2works.com/
ジュヌビエーブ・ゴクレールのサイト。
裁判所は人生の悲喜こもごもが集まる結節点である。罪を暴かれてうなだれる顔、怒りを投げかける顔、人生を諦める顔、恥ずかしさに顔を赤らめる顔、物思いにふける顔、計算をする顔。日常にはない強烈に感情的な顔が裁判所にはある。ベルギーの絵本作家ガブリエル・バンサンはブリュッセル裁判所に20年以上も通って繰り返しスケッチした。
被告や証人、検察や弁護士、裁判官のラフスケッチ集だ。絵には説明文が一切ない。しかし、どの絵からも背景にある深刻な物語の雰囲気が伝わってくる。高い窓から光が入る裁判所であるため人々の顔の陰影が深く絵の印象を強めている。
たまたま古本屋で入手したバンサンの「砂漠」もよかった。こちらも光と陰が美しい。
これは今年の読書ベスト3には入るだろう。飛びぬけて面白い。
主人公は江戸時代の街道のような場所を転々と流れていく旅人である。「主の大刀」を大権現様に奉納しにいくという大義名分がある旅なのだけれど、目的達成への道はまったく一筋縄にいかない。ゆく先々でしばしば喧嘩や盗難に巻き込まれたり、女や金の誘惑に負けて長逗留しているうちに、怠惰で無計画が災いして主人公をめぐる状況が破たんする。逃げるように次の場所へ次の場所へと移動していく宿屋めぐりだ。
主人公はある事件で意識が飛んでしまって以来、自分がいる世界は偽の世界だと思っている。主がいらっしゃる世界こそ真の世界であり、自分の本来いるべき世界はここじゃないのだと信じている。だから、なにもかもがうまく行かないのも、これが偽の世界だからであって、本当の俺の実力はこんなもんじゃないんだ、今の俺は仮の姿なんだと心の中で叫んでいる。
主人公がいる世界は辻褄があわないことだらけの異世界だ。超常現象みたいなことが年中起きる。実際そこは異次元なのかもしれない、あるいは、主人公の頭がおかしいのかもしれない。読めば読むほどに何が現実なのかよくわからなくなっていく。同じ町田の大傑作「告白」と同様に主人公のとめどない思考をそのまま文章化している。脈絡のない細部の記述が、例によってパンクなルサンチマン(世の中に対する恨みつらみ)に満ちた町田節炸裂だ。文体の魅力でぐいぐい牽引する。長大な物語も結構すらすらと読み進められる。
物語の構造は複雑で簡単には説明できない。文学部の研究対象になりそうなくらい話は込み入っている。しかし、読み終わってみると、いくつものメッセージが明確に、強烈に伝わってくるのがすごいのだ。いやここはメッセージという言葉よりクオリアという言葉を使ったほうがいいのかもしれない。読者の心の中に言葉にできないものがしっかりと残される。
だから、私のこの本の感想は「なんだかよくわからないがすごくよくわかった。」というものだ。極上の小説にしか達成できないことだと思う。宿屋めぐりとは人生のクオリアを解き放ったアート作品。大傑作、まず読みましょう。
・告白
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/10/post-474.html
・フォトグラフール - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-745.html
・土間の四十八滝 - 情報考学 Passion For The Future
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-733.html
異世界漫画の天才 諸星大二郎による幻想SF連作の単行本化。神話や伝説をベースにする作品が多い人だが、今回はなんと未来のバイオテクノロジーがテーマだ。物語世界では人類は遺伝子操作を濫用した結果、生物の遺伝子が混成状態になってしまった。知性を持った動物や、動物化した人間たちがひきおこす恐怖とシュールな笑い。
諸星大二郎らしいのは、こんなテーマでも、まったく説教臭さがないこと。テクノロジーの暴走に警鐘を鳴らすとか、倫理的な問題提起をする気配はゼロで、飽くまで怪物を登場させる格好のネタのひとつと考えているようだ。
アーサー・C・クラークは「高度に発達した技術は魔法と見分けがつかない」と言ったが、最先端の技術は、いまや人類の願いを叶えてくれる魔法であると同時に、破滅させる呪いにもなりうる。ちょうど今日、スイスとフランスの国境付近で世界最大の素粒子加速実験装置「大型ハドロン衝突型加速器(LHC)」が稼働を開始した。この最先端科学の実験は小さなブラックホールを生み出す可能性が5000万分の1くらいあると噂されている。それが本当に発生すると地球は呑み込まれて人類も当然ジ・エンドである。
もちろん科学者達はそんなことにはならないと否定している。だが、このニュースを知って、インドの少女が本当に世界が終わると思い込んで自殺してしまった。科学は伝統的な迷信や呪術を消滅させたが、同時にそれ自体が新しい呪いを生み出しているといえるのじゃないだろうか。
・暴露ウイルス体験ツール
http://www.dit.co.jp/products/exp/
WinnyやShareのようなP2Pファイル共有ソフトって、もう5年以上使っていない。大変、興味はあるし、怪しい利用だけでなくて、まともな可能性も、十分にあると思うのだが、自分では使わない。情報漏えいや法的なリスク(違法アップロード、ダウンロード)に巻き込まれるのが怖いからだ。特に経営者は使うべきでないと思う。
で、この暴露ウイルス体験ツールは、情報漏洩ウィルスのシミュレーションソフトだ。
「ユーザは、このツールをPC上で実行するだけで、Winny等を介してウイルスに感染した際、システムディスク内のどのようなファイルが、いかなるファイル名でネットワーク上に流出するのかを擬似体験することができます。」
うわ、こんなに大量に、こんな風な見え方で、デスクトップの中身が露出してしまうのかと、一目瞭然になる。社内啓蒙や話題づくりとして、ネタ的な体験ツールって、それなりに意義がありそうだ。
そして、
「ディアイティでは、PC内のファイルを管理するツールとして「FileChaser」、流出事故に際した「情報漏えい事故対応サービス」をご用意しております。」
というかんじで、配布メーカーのビジネスにつながっている。こうやってセキュリティ教育のツールやコンテンツが無償になる流れは歓迎だなあ。
・実例再現 ウイルス感染体感シミュレーター
http://is702.jp/special/simulation/
こちらもシミュレーター。「ここではウイルス感染や個人情報の盗難など、インターネットの脅威を体験し、その恐ろしさを肌で感じていただきます。」
自己評価について総合的、徹底的に理解することができる充実した内容。自己分析、恋愛、結婚、子育て、友人関係、仕事などに役立つ知識がたくさんみつかった。
自己評価とは、
・自分を愛する
・自分を肯定的に見る
・自信を持つ
の3つの要素の複合体であると著者は定義する。わかりやすく公式にすると
自己評価の栄養源=愛されているという気持ち+能力があるという気持ち
ということだ。そして自己評価は高い/低いという軸と、安定/不安定という軸をもつ。何がこの自己評価の状態に影響をもたらすのか、有名な自己評価についての理論が整理されている。
1 成功と願望の関係
成功に満足できるかどうかは望みの高さと関係がある。自己評価=成功/願望
2 投資理論
自己評価の高い人は積極的に行動して成功しますます自己評価を高める
3 鏡映的自己
他者が自分のことをどう思っているかを推測して自分のイメージをつくる
4 理想と現実の関係
自己評価は理想と現実の差がどのくらいあるかで決まる
自己評価は人間の行動に大きく影響する。人間関係をつくっていく過程では、自己評価は相互的な問題になる。特に恋愛は自己評価の相互的なせめぎあいのシーンである。多数の男女が参加するお見合いパーティで仮想の相手の判断を受ける実験の話が興味深い。
「相手の自分に対する評価を自分自身の評価に比べて<かなり高い><少し高い><同じくらい><少し低い><かなり低い>の五段階に分けた時、遊びの恋(この人とアヴァンチュールを楽しみたい)については<かなり高い>を選ぶ人が多かったものの、長続きさせたい関係(この人と真剣な交際がしたい)については<少し高い>を選ぶ人がいちばん多く<かなり高い>は<同じくらい>よりむしろ少なかったのである。」。
遊びの恋と長続きさせたい関係では男女の選択基準が違っている、ということだ。つかのまの関係では相手に自分に対する高い賞賛を求めるが、永続的関係では本当の姿の理解を求めるのである。つまり、二枚目で能力もある完璧な人は永続するパートナーとしては敬遠されることがあるということであり、三枚目にもチャンスがあるということになる。
自己評価は常に高ければ高い程よいわけではないと著者は結論している。自己評価の低い人のほうが、自己評価が高い人より親しみやすく他者と協調が成立しやすいという面もあるからだ。しかし、現代社会では一般に自己評価は高いことがよしとされている。
「社会にはそれぞれ<暗黙の理想>というものがある。物質文明を中心に据えた競争社会、すなわち私たちの社会では、その<理想>は政界や財界の指導者のイメージである。野心的で、一度目標を決めたらあくまでもそれに邁進する。成功のためならあえてリスクを冒し、他人に対する説得力にも富む。つまり自己評価の高い人のイメージだ。マスコミもそういった人物をもてはやす。要するに、私たちの社会ではたまたま自己評価が高いことが理想とされているだけなのである。したがって、<自己評価はどうしても高くなければならないのか?>と問われたら、その答えは否である。」
この本には、読者の現在の自己評価の高さ判定と、それを変化させるべきかどうかの判定ができる2つの質問リストがついている。(私は全般的に自己評価が高いが世間の目を気にしすぎる面がある、結論としては特に変化させる必要はないという結果になった。)。
変動する自己評価はサーモスタットのようなものだという。
「自己評価というものは自然のままに放っておくと、日常生活の小さな出来事によって多少の変動はあるものの、結局は最初のレベルにとどまる傾向にある。」
積極的に行動を起こして肯定的に結果を受け止めることで、自己評価の循環構造を高い方に変えることができる。しかしポジティブシンキングはいきすぎると破綻する。ほどほどの高さで安定させるのがうまく生きるこつのようである。
このほか、この本は内容が実に幅広い。自己評価の高い人は何かに成功した後に友達に連絡をとる、自己評価の低い人は失敗した後に連絡をとる。長子は保守的で次子以降の子は革新的な傾向がある、などトリビアも面白かった。
・ステータス症候群―社会格差という病
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/11/post-661.html
・自己コントロールの檻―感情マネジメント社会の現実
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/03/post-60.html
・もうひとつの愛を哲学する―ステイタスの不安
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/12/post-331.html
子供の頃、この"運動神経"という言葉が苦手だった。私は鈍かったから。やせ形で筋肉がつきにくい体質だから、自分にはどうしようもないよなあと思っていた。運動神経とは鍛えられた筋肉だと理解していたわけだ。この本を読んで、もしかするとそうじゃないのかも?と今更気がつかされた。
「これまでトレーニングといえば、筋力やスタミナ向上を目指した、単調でつらいものだった。しかし、そんなことをしなくても、足は速くなったのだ。変わったのは筋力だけではなく、一言でいえば、身体の使い方である。ここにあらゆるスポーツの上達に通じる、秘訣がある。」
著者の理論は「身のこなし」「体の操作性」を向上させて運動不器用を運動器用に変身させるというものだ。たとえば腹筋運動が一回もできない人は、多くの場合、「腹筋がどこにあってどのように力を入れればよいのかわからない、という理由」によるのだそうだ。動きの「観念」(イメージ)を脳に明確にしてやるとできるようになるという。
「運動は脳の指令をうけて成り立つものである。しかし逆に、その動きに必要な新しい運動神経回路をイメージや動きのトレーニングによって形成することで、いわば脳の新しい機能を育てるという働きももっている。」
著者はそうした独自の理論を応用して、楕円軌道式自転車のような「足が速くなる」トレーニングマシンを開発した。有名選手達がこれを使って次々に記録の向上を達成している。この本は著者の理論と長年の実践を一般向けにまとめたものである。
脳と運動能力の関係についてスポーツ科学の領域で解明されてきた事実が面白い。運動部のように根性で無闇にきつい練習を積み上げるよりも、合理的な科学トレーニングを少しする方が、優れたスポーツ選手を育てることができるということのようだ。
学生時代の私は運動部の不合理な雰囲気が嫌いで文化系になっていたのだが、著者の研究が浸透すれば「科学的な体育会系」ができるのかもしれない。後半で近年の青少年の体力低下についても触れられていた。運動神経は子供の頃(2,3歳から)に発達させておくのがよいそうだ。
「つまり、近年の青少年の体力・運動能力の発達を総合的に見た場合、その平均値は中学三年生までにほとんどピークに達し、それ以後の発達はわずかであるか、ほとんど見られないということになる。十四歳以後、低下する項目さえある。」
私は運動神経が苦手なまま大人になり、どうでもよくなってしまったが(健康ではいたいですが)、子供には上手になって欲しいものである。著者の理論をベースにした体育玩具とか作って欲しいなあと思う。
・運動神経の科学
http://www.undoushinkei.jp/
岸本佐知子の講談社エッセイ賞受賞作。
私はテレビのノイズ画面を録画して、Youtubeで公開している。「なんの意味も面白みもない映像"のサンプルとしてアップしている。30秒間、正直に見ていると怖い顔がフラッシュするとか、ネット動画によくある悪戯も仕掛けていない(あれはほんとに怖いよね)。
・テレビのノイズ画面
http://jp.youtube.com/watch?v=86jud0vrH5o
これをオフィスに来た人に見せると20秒くらいで飽きてふーんという顔になる。そこで「宇宙背景放射」の話をする。「150億年くらい前に宇宙はビッグバンと呼ばれる大爆発を起こして膨張を始めたことはご存じですよね。その影響で放たれた強力な電磁波は今も宇宙に広がり続けています。テレビの砂嵐ノイズの5%はその宇宙背景放射が引き起こしていると調べた学者がいます。私たちはビッグバンをテレビの中で見ることが出来るんですねえ」。
そして、もう一度、この動画を再生してみせると、さきほどと違って、みんな食い入るように見つめてくれる。面白くないものを面白くする文脈が与えられたからだ。
岸本佐知子のエッセイのテーマは日常の経験や子供時代の追憶である。特別なことは起きない。何の変哲もない出来事ばかりだ。ひとつひとつは砂嵐の砂みたいなものである。それが彼女の妄想力ビッグバンによって、笑いのネタと化していく。
書き出しの2,3行でその文脈形成に成功している。どうでもよい話とわかりつつも、続きが読みたくなる興味関心喚起力がある。
「私の通った幼稚園には、幅二十センチほどの帯状の地獄があった。それは「お弁当室」と呼ばれる部屋の戸口の床の、なぜかそこだけタイルの色が変わっている部分のことで、そこを踏むと地獄に落ちると言われていた。」
「私はいま、目の前にあるこの英語の文章の意味について、一心に考えなければならない。だがそう思うそばから、ついついコアラの鼻について考えてしまうのである。あの鼻、材質は何でできているのだろう。何となく、昔の椅子の脚の先にかぶせてあった黒いゴムのカバーに似ている気がする。触ったらどんな感じだろう。カサカサしてほんのり暖かいだろうか。それとも案外ひんやり湿っているだろうか。」
「もしも誰かに、あなたを動物にたとえるなら何ですか、と訊かれたなら「ゴンズイ」と答える用意がある。さらに補足として「ゴンズイ玉の、中のほうにいるやつ」と説明する用意もある。」
雑念や煩悩っていうのは捨てるべきものではなくて、面白いエッセイを書くときのために、濃縮して取っておくもの、なのだな。この作家の雑念妄想ストックは相当に膨大な量があるようで、次から次へと文脈にはまりこむやつがほいほい出てくる。笑わせるだけでなく、しんみりさせたり、その通り!と共感させたり、四十数本のエッセイはバリエーションでも飽きさせない。
軽妙なエッセイはこう書くべしというお手本のような秀作。私もこういう文章でブログが書けたらいいんですけどね、雑念妄想埋蔵量が足りなくて、全然無理。
・第23回講談社エッセイ賞受賞 記念 単行本未収録エッセイ、大公開! ねにもつタイプ 岸本佐知子
http://www.chikumashobo.co.jp/special/nenimotu/
科学者が真面目に取り組んでいる変な研究の事例紹介54本。
・ハトによるモネとピカソの絵画の識別実験
・黒猫がそばを通るとコイン投げの運が悪くなるか
・南極上空を通過する飛行機を見上げて本当にペンギンはひっくり返るのか
・ある人物の失業期間はこの人物が交際した失業者の数が多いほど長くなる
・左利きの人は右利きの人よりも寿命が短いのはなぜか
・人間に体毛がないのはセックスの際に毛ジラミが移るのを異性がいやがったから?
何の役に立つのか、なぜそんな研究を始めてしまったのか謎の、イグノーベル賞系の研究が多いが、中には意外な重大事実の発見もある。たとえば左利きの人は右利きの人より寿命が9年も短いというのは、真剣に原因を解明していく必要がある内容ではないか。
人類にはあくびがよく伝染する人々と、まったく伝染しない人々の、二つのグループに分類できるという。そうだよね。大勢参加のつまんない説明会などで、退屈しのぎに聴衆を観察していると、あくびの伝染って確かに起きているなあと、私は前から思っていたのだ。(私があくびの起点になって責任を感じるということでもあるんだけど)。
「この分類を行ったのは、フィラデルフィアのドレクセル大学の心理学者スティーブン・プレイテックが指導する研究グループで、それによると、社交的な人々には他人のあくびが伝染しやすいが、社交的でない人々には伝染しにくいという。つきあいが良くて、他人の立場や気持ちがよく理解できる人は感受性が高いので、他人のあくびを見ると反射的に自分もあくびをしてしまうというのだ。つまり、感情移入の能力によって。あくびに対する行動の違いが観察できるのである。この研究報告は≪認知脳研究≫(十七巻、二二三ー二七頁)に掲載された。」
あくびが、良い友人や結婚相手を選ぶのに使えるのではないか、と書かれている。お見合いであくびをするのはまずそうに思うが...。互いにあくびが伝染したのを見て自然と笑いが起きるようなグループは、一緒に何かするのに楽しそうである。コミュニケーションが大切なビジネスチームの能力判定にあくびが使えちゃうかもしれない。なんでも調べてみるものである。
そろそろ髪を切りにいかなければと思う矢先に広告を見たので思わず読んでしまった。理容師・美容師で複数店舗の経営者でもある著者が書いたビジネスで成功する髪型の法則。どんな素敵な髪型があるの?いやいや内容は意表をつくものであった。
人は初対面の人に出会って3秒以内に相手に対する印象を決めるが、その大きな決め手が髪型であるという米国の心理学者の研究があるそうだ。髪型がビジネスに与える影響というのも案外に大きいのかも知れない。著者は多くのビジネスマンの髪型を観察して、成功している人に共通の「ビジ髪」法則を見出した。本書にはその詳細が書かれているわけだが...。
結局、究極のビジネスヘアとは何か。
答えはあまりにシンプル。
なんと 「7:3分け」 なのである。
日本の成功した社長は十中八九、シチサンだろう、と。
「世界各国の格式を重んじる人々が頑なに守り続けているため、公の場においては7:3分けが基準となっているのです。これこそがグローバルスタンダードというわけです。」
悪いことは言わないからあなたもとっととシチサン分けにしなさい、というストレートなメッセージの本である。
えり足、もみ上げ、耳、額、眉毛、つむじ、ヘアカラー、スタイリングの8つの黄金律が紹介されている。本気で実践したい場合、このページは床屋での注文の際に役立つ。巻末にはカラー写真でビジ髪の実物模範例が多数紹介されている。なるほど著者の理想はこういう方向かというのがよくわかる。
「ワルい要素を取り除くことが、品格のあるスタイルを生み出すのです。」
「年齢が髪型を決めるのではない。その人の立場が髪型を決めるのだ。」
「あなたは誰のために髪を切っているのですか?」
ビジネスならシチサンにしておきなさい、という結論は面白みがないけれど、妥当なアドバイスなのだろうなと思う。だって現代日本のビジネス社会でクリエイター以外の職種の人間が、茶髪や個性的なヘアスタイルを選ぶのはかなり損である。軽くて不真面目に思われるし、どこかしら「アンチ○○」な感じになってしまうのである。
逆に言うと、個性的な髪型で活躍している人というのは個人として余程の力ある人だろうと思う。要らぬハンデを追いながら社会的競争で十分にやっていける実力の持ち主だ。あの人は特別と周囲に認めさせる特別な存在感を持っているはずである。そこまでいけばクジャクの羽のようなものだ。生存競争の上ではハンデでも、異性や仲間を惹きつけるディスプレイ、輝かしいトレードマークとして機能する。その場合、実にかっこいい。
しかし実力や人気がないのに真似をすると苦しい戦いを強いられる。
だから、著者の言うように一人前になるまでは無難な髪型にしておくのが成功の秘訣だというのは実に妥当な結論だなと納得する。特にこれから就職活動の人はぜひ参考にするとよいと思う。男性の髪型は敢えて強く個性を主張しない方がよいのだ。
でも私、シチサン似合うかなあ.....。
(この本は、結局、シチサンオンリーというわけではなくて、短髪で清潔感のあるビジネス髪のすすめ+写真カタログ本であった。)
平家物語は登場人物や戦いの数が多くてわかりにくい。それを手品のようにわかりやすい構造に整理してしまうのがこの新書である。平家物語の読み解きに悩んでいる人にとって救世主。素晴らしい。
第一部はあらすじ暗記、第二部は内容の図式化という目次だ。
著者は、平家の栄華時代に三つの反乱(鹿ヶ谷の変、高倉宮御謀反、頼朝の旗揚げ)があり、「都落」を境にして平家の没落時代が始まり、三つの戦い(一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦い)があって終わる構造として理解すると良いと教えている。
平家の栄華時代:三つの反乱(鹿ヶ谷の変、高倉宮御謀反、頼朝の旗揚げ)
──────都落ち──────
平家の没落時代:三つの戦い(一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦い)
また人物については「前半では、清盛が悪で、重盛が善(正義、良心)。後半では、宗盛が愚かで、知盛が賢い。」と覚えてしまうとよいと教える。
正しい、良識の重盛 <> 誤った、横暴な清盛
──────都落ち──────
正しい、賢明な知盛 <> 誤った、愚鈍な宗盛
確かにこの2つの単純化された構図を使うと、複雑な物語がぐっとわかりやすくなってくる。わかるだけでなく、この見方をすると登場人物たちの魅力がきわだってきて味わい深くなってくる。なぜかといえば、この解釈が平家物語の作者らの創作意図を汲み取る読み方であるからなのである、と著者は説明する。
「あえて言うなら、『平家物語』の中に登場する清盛は、現実の清盛とはまったく別人と割り切るべきだ。そして『平家物語』が創り上げた清盛という人物を作品に即して生のままで味わうのが一番おいしい、と私は感じている。」
平家物語については史実研究に基づく新解釈や、後世の作家の独創的な解釈が溢れる中で、著者は敢えて原作者の意図を汲み取ることにこだわる。著者の提示する軸で見たとき、主要登場人物たちの役割が明確に規定されていることや、無数のサブストーリーを縦に貫く普遍的な法則の存在に驚かされる。
たとえば、重盛や知盛の進言は正しいが実行されないというパターンだとか、夜討ち、不意打ち、強行突破は常に戦闘の成功の秘訣で、負けるのはそれをしなかったからである、とか、平家にとっては家庭としての戦場、源氏にとっては職場としての戦場という戦場観があることなど、いくつもの終始一貫したパターンや法則が発見される。
こうした予備知識があると、複雑な物語の先をかなりの精度で予想することができ、深く味わうことができる。平家物語はわかりやすい伏線を織り込んだサービス精神旺盛なフィクションであることがわかってくる。
この解説本を手にしたのは画家で絵本作家 安野光雅の「繪本 平家物語」がきっかけだった。平家物語の名場面を絵画にした画集である。各場面には平家物語(覚一本)からの文章の抜粋がつけられている。7年かけて描いた大作だ。安野光雅の画風の淡々としたところが、栄枯盛衰・諸行無常の平家物語と相性が良くて味わい深い傑作になっている。
・1歳5ヶ月の息子が選ぶ2004年 ベスト絵本
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002776.html
安野光雅について触れました。
・安徳天皇漂海記
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/09/post-445.html
平家物語のバリエーション。
イスラーム学の世界的権威 井筒俊彦が、昭和56年に行ったイスラーム文化に関する3つの講演を自ら活字になおしたもの。この講演は経済人を聴衆としていたため、専門用語が排されて、基本から大変わかりやすく整理された内容になっている。
私は子供時代の一時期をエジプトのカイロで過ごした。家の隣はモスクだった。毎日何度もコーランを聴いた。街では日々の祈祷や季節の断食が生活の中に溶け込んでいる。人々の生活の背後に日本や西欧とはまったく違う原理が働いていることが子供ながらに感じられた。
「イスラームは霊性的原理だ。だが、それは同時に社会的・政治的理想でもある」(ラシード・レター、カリフ論)。イスラームは聖と俗を分離しない。生活のすべて、人生のすべてが宗教で規定されている。たとえば善悪の判断も神によって決められたものだ。
「イスラームでは事物の本性が善悪を決めるのではない。人間の理性が善悪を判断するのではない。神の意志で善悪が決まるのです。たとえば、人の持ち物を盗む。盗みということがそれ自体として本性的に、あるいは理性的に、悪いことだから悪いというのではありません。神がそれを悪いと決定したから悪いのです。」
善悪のレイティングもイスラーム法で明確に規定されている。
「以上の五つ、すなわち絶対禅、相対善、善悪無記、相対悪、絶対悪をイスラーム法では五つの最も基本的な倫理的範疇といたします。この倫理的五分法の原理に基いて、人間のあらゆる可能的な行動をきっぱり分類して画一的に規定してしまおうというのであります。それがすなわち最も簡単な形で考えたイスラーム法の構造です。」
イスラム教徒=ムスリムという言葉は神に対する「絶対帰依」という意味を持つ。主人と奴隷の関係のような絶対的な神への帰依。自力救済の否定。エジプト人は「マレーシュ(気にしても仕方がない)」「インシャーラー(神の思し召しだ)」という言葉を日常よく使う。日本人から見ると、どうみても彼らに責任があるときでも、悪びれずに、そう言う。
イスラーム文化の思想では根本的には因果律が存在しないのだと著者は指摘している。原因があって結果があるのではなく、神が一瞬一瞬を新たに創造しているだけなのだ。だからすべては神の思し召し扱いという世界観が成り立つ。
「そうなりますと結局、われわれの経験的世界は、哲学的には因果律の存在しない世界ということになる。因果関係では内的に結ばれているものは、この世界に何一つ存在しない。また、そうであればこそ神の全能性が絶対的な形で成立しうると考えるのであります。」
因果律が存在すると神の創造性の余地が減ってしまうから、である。
そして、すべてはコーランに記述されている。
「われわれがふつうイスラーム文化の構成要素としているものは、学問をはじめとして道徳も政治も法律も芸術も、ことごとく『コーラン』の解釈学的展開の諸相なのであります。」
コーランは遠い昔に固定したテキストであるが故に、解釈には大きな違いが生まれる。仏教に顕教と密教があるように、イスラームにも多くの宗派が生まれた。この本では主に、主に次の大きな宗派についての解説がある。
・シャリーア(宗教法)に全面的に依拠するスンニー派イスラーム
・イマームによって解釈された内的真理ハキーカに基づくシーア的イスラーム
・ハキーカそのものを純粋に求める神秘主義スーフィズム
中東問題の記事を読むときに出てくるスンニー派、シーア派などが何を意味しているか根本的な理解ができる。インターネットで世界はすっかりつながった感じがあるが、文化的に断絶しているのが日本とイスラーム世界だと思う。日本人は一般に宗教を嫌うから外国の文化だけを理解しようとする。しかしイスラーム世界の場合、それでは無意味だということがわかる。イスラーム世界の文化的枠組を理解する名著である。
・誰が世界を変えるのか ソーシャルイノベーションはここから始まる
原題はGetting To Maybe。「かもしれない」可能性の未来に向かう社会起業家の研究書である。多数の社会起業家の成功と失敗を複雑系や創発の理論的アプローチによって精密に分析していく。世界を変革するソーシャルイノベーションの成功の鍵とはいったい何なのか。
著者はまず人間の直面する課題を以下の3つのレベルに分類する。
1 単純(simple) ケーキを焼く
2 煩雑(complicated) 月にロケットを送る
3 複雑(complex) 子供を育てる
単純な問題はレシピが存在してそれを守れば必ず成功する。煩雑な問題は多様な分野の高度な専門知識が必要だが計画が正しいならば結果の確実性は高い。これに対して複雑な問題は厳密な計画は部分的にしか役に立たず結果の不確実性も高い。前回の成功が次回の成功を保証するものでもない。この問題は部分と全体を切り離して考えることができない。
そして、社会起業家達の挑戦は3つめの複雑な問題である。本質的に「かもしれない」に情熱的に立ち向かう人の問題なのである。社会的変革には次の3つのフェイズがあると著者は述べている。
1 初期の力と資源はコミュニティの「つながり」の中に見つかる
2 コミュニティは社会運動になり「衝突」のドアを開く
3 改革側と体制側の「協力」が資源分配に抜本的変化を起こす
人や体制を変革するのではなくて、人々の関係性を変えていくことで変革を実現するプロセスなのだ。人間の社会的関係性は複雑系だ。だから、フィクションのロマンチックな解釈と違って、現実世界では、一人の偉大な英雄が大きな社会変革を引き起こすわけではない。どちらかというと彼らは変化のきっかけであるに過ぎない。そして変革が始まってからはその流れを強化する一要素になる。彼ら自身もまた変化の波の影響を受けて変容していく。
「複雑系の理論で考えれば、成功の理由は彼らが馬にまたがる将軍のように部隊を率いたことよりも、彼らの行動が新たな相互作用のパターンを示し、それを誘発したことにある。要するに、彼らは「ストレンジ・アトラクタ」をつくりだし、強化もしたわけだ。」
社会起業家は変革の大波がいつ訪れるかを見極めなければならない。その大波が形成される下地を、著者は、社会学者デュルケームの「集合的沸騰」と社会心理学者チクセントミハイの「フロー体験」(人々が何かに夢中になること)の概念を借りて説明している。
集合的沸騰とは人間同士の相互作用から生まれる興奮状態で「全員が同じ考えや同じ感情を共有する状況で、人が集合し、互いに直接的な交渉をもつときにもっとも激しくなる。」。つまりローカルセンサーの感度が高いときに生じやすいものだ。局所的なコミュニケーションによる共鳴は集合的沸騰を引き起こす。人々がフロー状態の中で自己組織化のパターンを描くようになる。
「変化が確固たるものになるには、あるいは、本物のイノベーションに必要なティッピングポイントに向かう勢いがつくには、社会的なフローが必要だ。フロー、つまり集合的沸騰が起きるとき、不可能がほんとうに可能になるように見える。社会起業家はこのフローをつくることはできない。ワゴナーの詩のアドバイス「それがおまえを見つけるのにまかせよ」に従わねばならない。」
著者の結論によれば、成功する社会起業家とは変革のドアを作る人ではない。それを見つけるのが得意であると同時にドアを信じる人である。そして変革の波に自身をみつけてもらう人でもあるのだ。
多くの社会的問題解決のスタート地点では、障害と不確実性に阻まれて見通しの良い計画を立てることができない。何から手をつけたらよいのか皆目見当もつかないような状態でも、「かもしれない」を信じて情熱的に行動する人が成功する社会的起業家になるということだ。
著者はこんなことを書いている。
「複雑系の研究者は、単純な因果関係のモデルよりも複雑系のほうが実社会のダイナミクスを描くのに適していると考えているが、人間の力の可能性を軽視、いや無視する傾向がある。」
本書の中でこの一節が強く印象に残った。分析可能な事例を分析しているだけの学者の理屈を、前例のない現実でぶち破るのが起業家なのだから、「人間の力」というのは常に研究からはこぼれおちてしまう傾向があるのだろう。学術的研究よりも、優れた伝記や小説のほうが、偉大なリーダーの仕事の本質が理解できた気になるのは、そういった意味では正しい感覚なのかもしれないと思う。
・フロー体験 喜びの現象学
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/04/post-367.html
楽しみの社会学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004302.html