処女の文化史
古いイスラーム世界には「名誉の殺人」と呼ばれる風習がある。婚前交渉を行った女を家族の名誉のために父親や兄弟が殺す行為だ。処女を奪った男ではなくて、奪われた女を殺す。21世紀の現在でも一部の地域で行われている。こうした社会では日本や西洋とは処女の価値がまったく違うものなのだ。
「純血の証」「身体への害毒」「富の象徴」...
西洋社会の中でも中世から現代までの間、処女の意味と価値は大きく変化してきた。中世文学・文化・ジェンダー論を専門とする著者が、処女の変遷を、医学的視点、キリスト教的視点、文学的視点、政治的視点に俯瞰する。
中世ヨーロッパ世界の王族達の間では処女の娘の身体は、国家間の同盟関係を維持するための有効な手段であった。
「処女の娘は父親が家族を取り仕切る能力の鏡と見なされただけでなく、父親の経済的・政治的な取引上の価値ある財産だった。また長男がすべてを相続するという長子相続権の結果、花嫁を捜す男性とその家族は、処女の花嫁を選ぶことで、生まれてくる長男が嫡出子であることを確実にしようとした。」
一方、中世の教会においては処女とは聖母マリアであり、神への汚れのない捧げものであった。同時に処女はエデンの園で永遠に失われてしまった人間の無垢さの象徴でもあった。
「教会が処女を「守り抜かれた宝」と(理想的には)見なしたのに対して、世俗の世界では流通させるべき価値ある商品だった。神への捧げ物と、リアルポリティークのための授かり物との違いだ」。
処女の価値が大きい社会では医学的に処女の判定法が盛んに議論された。処女膜神話が浸透した。「処女の尿は透き通っている」「胸が下を向いている」「伏し目がち」など俗説も広がった。長く処女でいることが身体に悪いだとか、ヒステリーの原因だともいわれた。
結局、処女とは何なのか。
学者である著者は「初体験」がアナルセックスの場合、それを「処女喪失」と言えるのかと真面目に考察したりもするのだが、処女と非処女を医学的に判別することが難しいし、処女膜なら修復も可能だ。身体的には初めての行為前後で何かが変化してしまうわけではない。不可逆的に変わってしまうのは本人や周囲の見方であり、女性の社会的価値である。
処女とは普遍的であると同時に多様性のある文化なのだということを探究する内容。
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