日本史の誕生
日本史学に衝撃を与えた岡田史観の文庫化。
「一口に言えば、われわれ日本人は、紀元前二世紀の終わりに中国の支配下に入り、それから四百年以上もの間、シナ語を公用語とし、中国の皇帝の保護下に平和に暮らしていた。それが、紀元四世紀のはじめ、中国で大変動があって皇帝の権力が失われたために、やむをえず政治的に独り歩きをはじめて統一国家を作り、それから独自(?)の日本文化が生まれてきたのである。」
中国史が専門の著者は日本史をアジアの歴史の一部としてとらえなおす。
「大和朝廷は存在しなかった。」
「日本の建国は紀元六六八年であり、創業の君主は天智天皇である。」
「古事記は偽書」
「邪馬台国は存在しない」
などと、これまでの日本史観を覆す大胆な論考の数々が展開されている。
古代日本の状況は国内に文献資料がなく中国の史書の一部に「魏志倭人伝」として軽く触れられているに過ぎない。魏志倭人伝というと立派な書物かと勘違いするが、実際は中国からみると野蛮な境の歴史をまとめた三国志魏書東夷伝の「倭人条」という一記事であり、文字量にしてたった2000字である。
そんな小さなコラムみたいな魏志倭人伝が、本当に信頼できるものなのか。中国の史書の成立を調べていくと大きな疑問符が付くと著者はいう。そして、日本側の主な文献資料である古事記や日本書紀の記述も信頼性が疑わしいといい根拠をとともに「大和朝廷は存在しなかった。少なくとも『日本書紀』にあるような天皇たちはいなかった」と言い切る。
強く印象に残ったのは、「歴史というものは、何か一つの時代が終わったという実感があり、新しい時代が始まったという主張があって、はじめて書かれるものだ。」という洞察である。歴史書が編まれるときというのは、一区切りついて視座が固まった特殊な状況なのだ。編纂コストもかかるから為政者の意図も色濃く反映される。わずかな文献資料に基づいた日本の古代史学の足場は、科学的に見てかなり危ういものなのだ。
著者はそうした古代史研究の状況に一石を投じた。極めて大胆で独特だが説得力のある分析に基づいていて、トンデモの類とは明らかに一線を画す研究である。この歴史観が発展していくと、未来の教科書はずいぶん違ったものになるのだろうなあ。
(ちなみに本書の表紙の人物は今では聖徳太子ではない説が有力らしい。歴史学は数十年で大きく変化する。)
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