真実の言葉はいつも短い
劇作家、演出家の鴻上尚史が20代~30代半ばに本に書いた文章を、自選で編んだ傑作エッセイ集。若い世代に読ませるためにまとめたようだ。テーマは主に表現論、演劇論、恋愛論、人生論。
最初になぜ鴻上は演劇を志したのか、どうやって劇作家や演出家になったのか、そのとき何を考えていたか、が赤裸々に語られる。
「トレーナーのエリの部分を頭の上まで引っ張り上げて、『ジャミラ!』と言い切った新人には、柿のタネが飛びました。よせばいいのに、そいつは、そのまま、『スピードスケート選手!とだめ押ししました。『ほっかほっか亭』の唐揚げが飛びました。唐揚げは、当たると痛いのです。 つまりは、表現するとは傷つくことで、下手でもとにかく、傷つかないと始まらなくて、それを、無傷なまますごそうとする人間たちには、地獄の観客達は容赦なかったのです。」
第1章「演劇なんぞというものを」、若き鴻上が入部した早稲田大学演劇研究会での、青春の一コマ。打ち上げ飲み会では前にステージが作られて全員が個人芸を強制される。つまらない芸には無視や冷たい仕打ちが待っていて、覚悟がない新人は泣いて部を去っていく。本当にうまいものには熱烈な拍手と喝采が起きる。
「そういうメンバーとつきあうことは、道楽を追求するひとつの近道なのです。もちろん、そういうメンバーと出会うのは、簡単ではありません。ですが、志さえ高く持っていれば、そしてちゃんと傷ついていれば、必ず出会うのです。」
いかにもワセダ的メンバーにもまれながら鴻上は授業をさぼって演劇にはまる。一部員から仲間を集めての劇団の設立、劇団仲間の死、それを乗り越えて夢に向かう覚悟。ユーモア感覚たっぷりの軽妙なエッセイだが背後にきちんと後進へのメッセージが込められている。
「舞台とは、大海原を何ヶ月も漂流しながら、仲間の人肉を食らうことで生き延びられた最後の一人が、緑の大陸の渚にうちあげられた時、気を失いながらもしがみついていたイカダのことである。その材木でできた四角い平面こそ、私の求める舞台そのものなのだ。」(「ジョジョ・マッコイ」、謎の演劇者の言葉を借りて)
特にこれにしびれた。その舞台はすべての表現者にとっての舞台なんだと思う。
いい戯曲を書くには?テーマがみつからない?
「あなたが、「ま、いいか」とか「しょーがないの」とか「これが人生っていうやつよ」とかの言葉を使わない限り、テーマは山ほどあります。」
演劇に限らずこれから表現者を志す人におすすめ。それからワセダ的な場所で留年や休学を繰り返しちゃっているような停滞中の大学生に特におすすめ。鴻上の言葉にブレイクスルーがみつかるかもしれないと思う。
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