日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ
飯尾潤政策研究大学院大教授の著。サントリー学芸賞、吉野作造賞を受賞した新書。
「はじめに」で日本の首相の権力は、アメリカ大統領よりも大きい、という意外な分析トピックで始まる。その事実の意味を知ることが、本書において日本の議院内閣制の成り立ちと仕組みを知るための導入となる。
「つまり民主政のもとでの大統領制は、大統領と議会とが別々に選出され、それぞれが正統性を有しているため、民意は二元的に代表される。それに対して議院内閣制は、議会のみが民主的に選出され、その議会の正統性を基盤として内閣が成立するために、民意は一元的に代表される。ここに着目すれば、議院内閣制のほうが大統領制よりも権力集中的な制度なのである。」
議会、内閣、首相、政治家、官僚、政党について、本来の一般的な機能役割の説明と、日本における個別的な現実の姿が語られる。歴史的経緯と国際比較によって、日本の統治構造の長所と短所が明確になっていく。著者は学者の立場からかなり中立的に現実の日本の構造を俯瞰している点が、この本のよいところだと考える。
一般に日本の官僚は優秀だと言われる。ところが意外にも官僚機構には法的な規定がないと指摘がある。国家公務員法で守られていると思われがちな公務員たちの身分だが実は人事は慣行ベースで自律的に動いている。
「だが、官僚の人事に手をつけるのは簡単ではない。たとえば、事務官と技官の区別、キャリアとノンキャリアの区別など、国家公務員法にはまったく記載されていない。実際の人事の仕組みもまた、慣行として続けられているだけで、法的に定められたものではない。むしろ国家公務員法が制定されたときの経緯から考えれば、法律の趣旨とはまったくかけ離れた慣行であるということさえできる。」
かくして官僚は政治家による介入も、法改正による影響も受けない特別なシステムを構成している。そして、彼らは自民党本部に出入りし政治家と密接に連動することで、政策形成と予算決定において、ときに政治家以上の重要な役割を果たす。「総合調整」や「族議員」「御説明」「鉄の三角同盟」などのキーワード解説を交えて、日本独自の政治と官僚の協調構造が明らかにされる。
こうした複雑な日本の統治構造はもちろん多くの問題点を抱えているが、過去を振り返ると日本の戦後の経済成長および国際社会における地位の引き上げに成功した、優秀なシステムではあった。故にそれぞれに一定の肯定的評価を含めつつも、自民党の一党優位制と目的なき政権運営、空洞化した国会と曖昧な野党機能という戦後体制の棚卸し総括が行われる。
「つまり、特定の政党が政権を独占するという一党優位性が長期にわたり、総選挙が政権選択選挙にならず、有権者の選択によって首相や内閣が成立することが非常に少なかったからである、政権の座をめぐる争いは自民党内の派閥抗争に限定され、有権者の多くは傍観者として、それを眺めるだけであり、いわば見世物を見て楽しみという状況に置かれて。」
政権与党が変わらないので首相の交代で有権者に変化のカタルシスを与えてきた。そして与党は野党にも一定の政策権限を分け与えて野党の政策もある程度は通るようにした。官僚は審議会を使って政策の方針展開を進めようとした。本来あるべき政党政治とは異なる状況で、それぞれがなんとかうまく民意集約を行うことに成功してきた工夫の産物が、今の日本の姿であるようだ。
日本において政党政治や議院内閣制はこれからどう展開していくのだろうか。国民の政治参加とフィードバックが弱いという根本的な問題解決が大切な事項として挙げられている。最大の問題は国民の意識かも知れない。著者は日本人の政治観についてこのように鋭く指摘する。
「ただ日本においてはまだまだ党派に属することへの拒否感が強い。党派性への拒否感が強いと有効な政党間競争が阻害される。政治的な中立性や政党と無関係であるということは、公正な法執行に携わる公務員には必要であっても、一般の市民生活には特に必要ない。 政治教育の必要性が一般には認められながら、なかなか定着しないのは、こうした党派性への拒否感が強いからである。党派性とのかかわりを持たずに有効な政治教育を行うことはできない。党派間の公平への配慮は必要だが、公平性の幅を狭くしてしまえば、教育機会がつまらないものになりがちである。」
そうだよなあと思った。政治や社会に対する日本人の意識は決して低いとは思わない。飲み会などの場でも政治に対する批判や意見を述べる人は結構多いしブログに政治トピックを書く人も増えている。選挙開票が娯楽番組として人気の国であるから政治全般に対する意識が低いというわけではあるまい。著者の指摘のように、党派に所属するということへの拒否感が根強いのだ。
これは社会のありようと根深い関係があるかもしれない。日本人の多くは社会的に協調性のある人間になるように家庭でも学校でも教育されている。特定の利害団体に肩入れして政治的にパワフルになれとは決して教わらないで育つ。同質性を前提とした社会では、政治性が強い人間は社会性が弱いことになったからではないかと考える。しかし、今や同質性の前提が壊れた。幅広い意見を政治団体に集約し政策決定に反映させることが公共の観点からは大切な世の中になりつつある。世論形成や情報開示という点ではインターネットの役割再考も含めて統治構造の見直しがテーマの時代になっているはずだ。
私の受けた日本の教育では、国の運営について肝心のところを教えてもらえなかったと不満に思っている。社会の教科書には、憲法の主旨、三権分立の概念、二院制、選挙制度など日本のハードウェア構成は書いてあるのだが、それらが実際にどう運用されているのかの話はほとんど書かれていなかったと思う。90年代以降の改革の意味も含めて具体的にわかりやすく説明がある。高校や大学の授業でこれを教えるべきである。政治学者が書く一般書のお手本になる名著だと思った。
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