今夜、すべてのバーで
中島らも、1990年発表、吉川英治文学新人賞受賞作。35歳のときの深刻なアルコール依存症による入院体験を小説に書いたわけだが、らも氏はその14年後に酔っぱらって階段から落ちて死んでしまった。お酒を愛し追究しそして翻弄された作家の、本物アル中フィクション。
「退屈がないところにアルコールがはいり込むすき間はない。アルコールは空白の時間を嗅ぎ当てると迷わずそこにすべり込んでくる。あるいは創造的な仕事にもはいり込みやすい。創造的な仕事では、時間の流れの中に「序破急」あるいは「起承転結」といった、質の違い、密度の違いがある。イマジネイションの到来を七転八倒しながら待ち焦がれているとき、アルコールは、援助を申し出る才能あふれる友人のようなふりをして近づいてくる。事実、適度のアルコールを摂取して柔らかくなった脳が、論理の枠を踏みはずした奇想を生むことはよくある。」
クリエイティブな業績があるアーティストは、お酒もクスリも創造性の源としてしばしば引き合いに出される。だが、飲まないで面白いものを書く人もいるわけだから言訳に過ぎないと言える。だから、要は作家としていかにかっこよくそれを言うかだろう。自堕落でかっこよい言訳の小説なのだ、これは。
「「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる能力」のことでもある。」
底なし沼の「ズブズブ」感がたまらない小説である。冷静にアルコール依存症という病気を分析している部分もあるのに、気を抜くとやっぱり飲んでいる。わかっちゃいるけどやめられないまま、また飲む言訳を探す。これはアルコールに限らない。依存する人間の弱さと怖さが魅力の入院小説。
・ガダラの豚
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/06/post-762.html
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