プールサイド小景・静物
昭和30年 第32回の芥川賞を受賞した庄野潤三の初期代表作を含む短編集。
夕食前にプールで泳ぎ、大きな白い犬と一緒にマイホームへ帰っていく家族。絵に描いたような幸せそうな家族だが、実態は経済的にも愛情的にも、破滅の秒読みが始まっているのだった。「プールサイド小景」はモーレツに日本人が働いていた時期に書かれた作品だ。置き去りにされた妻はこんな風につぶやく。
「男は退屈すると、棍棒を手にして外へ出て行き、野獣を見つけると走って行って躍りかかり、格闘してこれを倒す。そいつを背中に引っかついで帰って来て、火の上に吊す。女子供はその火の廻りに寄って来て、それが焼けるのを待つ。もしそういう風な生活が出来るのだったら、その方がずっといいに決まっている。男が毎朝背広に着替えて電車に乗って遠い勤め先まで出かけて行き、夜になるとすっかり消耗して不機嫌な顔をして戻ってくるという生活様式が、そもそも不幸のもとではないだろうか。彼女は、そんなことを考えるようになった。」
労働というものが家庭と完全に切り離されて、ワークライフバランスの問題の原点をみるような気がした。今は女性も働くが、仕事と家庭の両立の難しさは、昭和も平成も本質的には変わっていないような気がする。
収録一作目の「舞踏」は、夫の浮気に気がつきながら、それを夫に言い出すことができないでいる妻との微妙な関係を描いた秀作。冒頭の語り部分からひきこまれる。
「家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついている守宮のようなものだ。それは何時からと云うことなしに、そこにいる。その姿は不吉で油断がならない。しかし、それはあたかも家屋の内部の調度品の一つであるかの如くそこにいるので、つい人々はその存在に馴れてしまう。それに、誰だってイヤなものは見ないでいようとするものだ。」
登場人物の主観の文と、客観的視点の文が入り交じる「二元描写」の技法が、ストーリーを立体化するのが特徴。ドキュメンタリ番組のように頭の中に物語が映像化される感覚がある。
男と女、仕事と家庭、ささやかな幸せというのは微妙なバランスの上で成り立っていて、均衡が崩れると、いっきに奈落に暗転するかもしれない。日常というのは緩いようでいながら、実は張り詰めているんだということを書くのがうまい作家だと思った。
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