晴れた日は巨大仏を見に
「日本中の大仏を見にいくことにした。大仏のなかでも、とりわけデカい巨大仏を見にいく。これを巨大仏旅行といい、そんな言葉があるのかというと、今私がつくったのである。昭和から平成のはじめにかけて、日本各地にやたら大仏が建立された。それまでは日本一の大仏と言えば奈良の大仏と決まっていたが、今やその何倍もの高さを持つ巨大な仏が北海道から九州に至るあちらこちらに出現している。」
牛久大仏、淡路島世界大観音、北海道大観音、加賀大観音、高崎白衣大観音、九州の巨大仏、会津慈母大観音、東京湾観音、親鸞聖人大立像、仙台観音、太陽の塔(大仏ではないが)など、日本中の巨大仏紀行文。
著者は大仏にハマったのは幼少の頃に見た神奈川県の大船観音を見たのがきっかけだったとカミングアウトしている。実は私は大船の隣駅に子供のころから住んでいるので、今も昔も東海道線に乗るたびに、つまり毎日のように大船観音を眺め続けている。
慣れるということがない。何度見てもゾクッとする。ヌッと山の上に真っ白に現れる上半身だけの観音は、真っ青な青空と真っ白な対比が一番ゾクっとするが、夜の闇にほのかに見える姿もゾゾゾっとする。
「突然不穏なことを言うようでなんだが、世界平和大観音にも牛久の大仏にも、ぬっとした巨大仏は、何か妖怪的な、見ようによっては、人間のことなどまったく知ったことではないというような、非情な手触りがないだろうか。仏さまだから、本当は慈悲の心に満ち溢れているはずなのに、そんなもん一切わし知らんがな、とでもいうような冷たさが、巨大仏にはないだろうか。」と著者は書いている。
この本に影響されて、晴れた休日に、20年ぶりくらいに大船観音に行ってみた。この観音様は大船駅から見ることはあっても、寺までいくことがなかった。
晴れた日の迫力は鎌倉の大仏以上のもの。この本によると日本中の巨大仏は総じて観光地としても参拝の対象としてもまったく人気がないという話なのだが、写真にあるように観光なのか参拝なのかわからないお客(私もだが)で、結構にぎわっていた。大船観音はヌっとしていながらも、この柔和で優しそうな顔が引き寄せるのかもしれない。
・大船観音寺
http://www.oofuna-kannon.jp/
オフィシャルサイト。正式には白衣観音という。昭和4年に着手するも昭和9年に輪郭までできた段階で日華事変と太平洋戦争へ突入し資材不足により工事は中止。20数年間未完成のままで置かれた。「漸く戦後、曹洞宗管長高階瓏仙禅師、鳩山内閣文相・安藤正純、鳩山内閣法相・牧野良三、東急グループ創業者・五島慶太、三菱電機大船工場長・河合 登、近藤茂作の各氏が中心となり、財団法人大船観音協会を設立し、3ヵ年の歳月と4千余万円の巨額を投じ、昭和35年4月完成しました。」とのこと。
晴れた日の巨大な像は見ごたえがあった。この本にあるように他の大仏もめぐってみたくなったが、なかなか遠いところが多いのだよな。ツアーがあればいいのに。
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