連合赤軍「あさま山荘事件」の真実―元県警幹部が明かす
群馬県下の山岳アジトにおいて陰惨な大量リンチ殺人を犯した連合赤軍の幹部ら五名が、昭和四十七年二月十九日、ここ南軽井沢「あさま山荘」に押し入り、管理人の妻を人質に、包囲の警察部隊に銃撃をもって抵抗するという、わが国犯罪史上まれにみる凶悪な事件を引き起こした。警察は、人質の安全救出を最高目標に、厳寒の中あらゆる困難を克服しつつ、総力を傾注した決死的な活動により、二月十八日、二百十九時間目に人質を無事救出し、犯人全員を逮捕した。」(「治安の礎」碑文より)。
事件発生時に私は2歳だったので、この世紀の大事件の記憶はない。事件を題材にした映画や小説を通して大人になってから全貌を知った。あさま山荘のドキュメンタリは何冊もある。警察庁特別幕僚の佐々 淳行氏が書いた本などが有名だが、この本は当時の県警本部第二課長が現場側の視点で綴っている。上層部の思惑や権力争いの代わりに、現場の淡々としたリアリティがあって凄味を感じる。
著者は事件を日誌的に記録している。<情勢の分析><警備方針><部隊配置><装備資材><重点実施事項><警備体制>などの項目で、簡潔に事態推移を記録する。人質をとっての籠城戦略の手ごわさが印象的だ。10日後に犯人全員逮捕と人質救出を成功させるものの死者3人、負傷者27人の犠牲を出した。
犯人一味の数は(警察は最後まで把握できなかったのだが)たったの5人。包囲する警察は1000人以上であった。「隊員の二十代の若者らに対して、『明日は死ぬかもしれないが、その危険な任務に就いてくれ』と命じて、それが計画どおりに遂行されること、それは考えてみれば実に大変なことだと思う」(警備本部長)。決死の覚悟の突入現場でどんなやりとりがなされていたのか、案外浪花節であったりするのだが、現代でも本当にそのような場面では、こんな風なのかもしれないな。
なぜ突然この本を読んだかというと、ベルリン国際映画祭では最優秀アジア映画賞と国際芸術映画評論連盟賞のダブル受賞の映画の予習のため。現在公開中。
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD11914/index.html
若松孝二監督。
・あさま山荘事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6とても充実した記事。