読み替えられた日本神話

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・読み替えられた日本神話
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日本書紀は神話のスタンダードとしてその成立以降、宮廷や祭祀の人々に読み継がれてきた。中世において、その読まれ方は、読み継ぐというより読み替えというほうが正しかった。彼らは自由奔放にオリジナルを翻案改作して、別バージョンの神話を積極的に作り上げるようになった。

「中世日本紀の世界。そこには『記』『紀』神話に伝わっていない。イザナギ・イザナミの両親から棄てられたヒルコのその後の運命、あるいは源平合戦のさなかに失われた三種の神器のひとつ、草薙の剣のその後の行方、あるいは伊勢神宮でアマテラスの食事担当の神だったトヨウケ大神が、天地開闢の始原神、アメノミナカヌシへと変貌していく様子、さらには第六天魔王とか牛頭天王といった、古代神話には登場しない異国の神々でさえも活躍していく。もはや仏教とか神道とかいった区別さえも通用しないような世界が繰り広げられていくのだ。」

従来、研究者は、こうした神話の亜種を価値の低いトンデモ偽書としてまともに調べてこなかった。だが、神話の読まれ方を通史で眺めると、古い神話にインスピレーションを得て、新しい神話の創造するという行為はずいぶんと盛んでひとつの文化といえるものだったと著者は高く評価している。

日本書紀が成立直後より、朝廷では定期的(平安以降は30年おき)に、日本書紀の購読・注釈の催しが行われてきた。日本紀講と呼ばれるこの神話の読書会が、やがて神話創造の現場となった。

「こうした日本紀講の現場は、同時に新しい神話テキストを生み出す「創造」とも繋がっていた。『日本書紀』を注釈し、講義していく日本紀講の場は、なんと『日本書紀』を超えるスーパーテキストを作り出してしまうのだ。」

もちろん、その創造行為の動機には政治的なものを見る意見もある。「たとえば中世のアマテラスの本地垂迹は、在地の信仰を仏菩薩の垂迹として位置づけ、その頂点に大日如来の垂迹たるアマテラスが君臨することで、武士をはじめとした中世の人々を中世王権が精神的に再編成することが可能となったという説がある。」。そもそも同時期に成立したはずの古事記と日本書紀の記述の違いは主に天皇の権力を正当化するための意図的な改造であった。

だが、神話を創作の素材に用いるのは、千と千尋の神隠しやもののけ姫のような、現代のアニメ作品だって同じである。みんなが知っている話だからこそ、その続編を作ったり、同時代的要素を盛り込んだ別バージョンを作ったりすることが楽しいわけである。そうした楽しさに中世の人々は浸りながら、自由奔放にもうひとつの神話を作り続けた。そのクリエイティビティを、偽物だからなかったことにするというのでは、あまりにもったいないではないか、見なおそうというのがこの本の執筆の動機。

日本神話は日本人に本当はどう読まれてきたのか、実は今でいうCGMのネタとして親しまれてきたのじゃないか?という新しい視点を与えてくれる興味深い研究だった。

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このページは、daiyaが2008年2月 3日 23:59に書いたブログ記事です。

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