ヨブへの答え
ユングの傑作。宗教を心理学で解体する。宗教とは何かにひとつの答えを返しており衝撃的。
聖書に出てくるキリスト教の神ヤーヴェは全知全能であるにも関わらず間違いを犯す。最初につくった人間のアダムとイブからして、彼が課したルールを破り堕落していった失敗作だ。人間の心はお見通しのはずなのに、ひどく疑って試練を与える。そして意のままにならないと怒って罰を下す。そして自らを称賛する人間に極限的なまでの慈愛をみせることもある。
「彼の力が宇宙のすみずみまで大きく鳴り響いているわりには、彼の存在の基礎は心細い、つまり彼が実際に存在するためには意識に映されることが必要である。存在は、当然誰かに意識されてこそ意味がある。だからこそこの創造主は、人間が意識化するのを無意識のうちに妨げたいと思っていながら、なおかつ意識的な人間を必要としているのである。だからこそヤーヴェは怒り狂って盲目的な破壊に走り、そのあとで物凄い孤独と辛い虚無感に苛まれ、次いで自分を自分自身と感じさせてくれるものへの何とも言えぬ憧れが再び目覚めてくる。」
ヨブ記の中のヨブは神を敬う正しい人である。その行いや言動から良い人間だとわかりきっているのに、神はヨブにサディスティックなまでに厳しい試練与えて痛めつける。理不尽で不可解である。それでもヨブは神への従順をひたすらに誓い続ける。この二者の茶番劇みたいな行動は、いったい何なのか?ユングはこう分析する。
「彼(ヤーヴェ)は一人で両者、迫害者にして助け手であり、どちらも同じように真実である。ヤーヴェが分裂しているというよりは、むしろ一個の二律背反であり、全存在にかかわる内的対立であって、それが彼の恐るべき行動の・彼の全能と全知の・不可欠の前提なのである。このことを認識しているからこそ、ヨブは彼の前で「わが道を明らかにせん」ことに、つまり自らの立場を鮮明にすることに、固執するのである。なぜならヤーヴェは怒りの面をもつにもかかわらず、その反対に、訴えを起こした人間の弁護者でもあるからである。」
神はすべてであるが故に、善でも悪でもある全体性の性質を持っている。ヨブはそれを認識したうえで、普通に考えると理不尽に見える神にひれ伏しているのである。このヨブは神よりも知的で道徳的に高い位置にいる。だから追い越された神は人間をふたたび超越するために、神であり人であるキリストの姿に変身せねばならなかったのだという。
ユングはその全体性の神の正体は人間の無意識のはたらきであると指摘する。
「神と無意識とはどちらも超越的な内容を表すための極限概念である。しかし、無意識の中には全体性の元型が存在していて夢などの中に自発的に現われるし、また意識的な意志から独立したある傾向があって、それがこの元型を中心にして他のもろもろの元型を関係づける働きをしているということを、経験的には確かに確認することができる。」
無意識の中の元型がせめぎあって、ある程度は自発的に神を作りだしている。だからこそ、神の姿は時代状況を反映して、そこに生きた人々の無意識を反映する形で変化してきたとユングは指摘する。旧約聖書や新約聖書の時代から1950年代の法王宣言まで、歴史を追って、無意識と神の対応関係を見事に分析している。
ユングというと、例のシンクロニシティ研究の超越的な難解さが連想されるが、この本はまったくちがって、論理的でわかりやすく書かれている。伝統的な宗教における神という表象の正体を心理学を使って論理的に説明している。訳者の素晴らしい解説があるおかげで一層、内容を立体的に理解することができるのも高評価。
・グノーシスと古代宇宙論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004955.html
・グノーシス―古代キリスト教の"異端思想"
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004060.html