マインド・タイム 脳と意識の時間
「私たちの感覚世界へのアウェアネスは、実際に起こった時点からかなりの時間遅延することになります。私たちが自覚したものは、それに先立つおよそ0.5秒前にすでに起こっていることになるのです。私たちは、現在の実際の瞬間について意識していません。私たちは常に少しだけ遅れていることになるのです。」
認知科学で有名な意識の遅延に関する理論を、研究の第一人者の認知心理学者ベンジャミン・リベット自らが一般向けに語っている。この理論によると。私たちが意識の上で「今」だと感じている瞬間は正確には0.5秒くらい前なのである。
「自由で自発的なプロセスの起動要因は脳内で無意識に始まっており、「今、動こう」という願望や意図の意識的なアウェアネスよりもおよそ400ミリ秒かそれ以上先行していることを私たちは発見し、明らかにしました。」
何かを意識にのぼらせるには、脳の電気的な準備プロセスが必要で、それに必要な時間だけ意識は遅延する。0.5秒というのはかなり長い時間なので、「人それぞれの性格や経験が、それぞれの事象の意識的な内容を変えてしまう可能性」もあるのだという。認識の個人差、感受性の違いの根本原因は、この意識の遅延にこそあるのかもしれない。
リベットらの意識の研究によって、人間の行動には無意識が支配している部分も多いことがわかってきた。たとえば自転車を走らせていて子どもが飛び出してきたとする。この場合、人間は150ミリ秒くらいでブレーキを踏んでいる。危ないからブレーキを踏まなければと意識が思うのは500ミリ秒くらいの、実際に踏んだ後なのである。
なんだか不思議に思えるが、さらに日常の発話も無意識におう所が大きいらしい。確かに私たちは次に何を話そうか、どんな単語を使おうかと意識で考えないでも、自然にぺらぺら言葉を繰り出している。
「発声すること、話をすること、そして文章を書くことは、同じカテゴリに属します。つまりこれらのことはすべて、無意識に起動されるらしいということです。単純な自発的行為に先行して、無意識に始まる脳の電位変化は、また話したり書いたりといった類いの他の自発的行為にも先行するという、実験的な証拠がすでにあります」。
「話された言葉が話し手が意識的に言おうとしていたこととどこか異なる場合、通常話し手は自分が話したことを聞いた後に訂正します。実際に、もしあなたが話をする前に一つ一つの単語を意識しようとすると、あなたの話す言葉の流れは遅くなり、ためらいがちになります。流れがスムーズな話し言葉では、言葉は「ひとりでに」現れる、言い換えれば、無意識に発せられるのです。」。楽器の演奏もおなじだそうである。
表現行為の多くが無意識の創作を意識が追認していくプロセスだというのは、私たちの経験に照らして正しそうに思える見解である。自然な動作はたいがい「ひとりでに」おきる。自由意志、顕在意識が行う行為は人間の行動の中では案外、限定的なのであるということがわかる。私たちは自由意志で生きていると思っているが、無意識の結果を追認しているだけのようにも思えてくるのである。
当然のことながら、このテーマを突き詰めると「人間に自由意志はあるのか」という哲学的な問いに収斂する。第6章の「結局、何が示されたのか」ではリベットと心脳論の祖デカルトが仮想的な対話をする趣向が用意されている。ここで意外にもリベットは自由意志や魂の存在を否定せず、理論的にその存在の余地を残そうと努力している。
リベットは脳科学、認知科学の本にしばしば研究内容が引用されているが、本人の著作も実験結果の分析にとどまらず、哲学的な問題意識で書かれていて、相当面白いものであった。
・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html
リベットらの研究をベースにして意識科学を総合する大傑作。
・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html
・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html
・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html
・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html
・神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003679.html