円朝芝居噺 夫婦幽霊
著者の「辻原登」は作中で、明治の噺家 三遊亭円朝の幻の傑作「夫婦幽霊」口演の速記原稿を発見する。古い速記法の解読を進めるうちに、物語の内容だけでなく、その原稿に隠された秘密が明らかになっていく。その顛末の報告と「夫婦幽霊」現代語訳の公開がこの話の主な内容である。
フィクションであるから、著者が原稿を見つけたというのがまず嘘だし、幻の傑作も作者の偽作なのである。しかし、作中人物の多くは実在した本物であり(作中の著者自身もそうだが)、他の文学作品や史実の中に名を残している人もいる。どこからが真でどこからが偽なのかわからない宙ぶらりんの中での「夫婦幽霊」の語り。
語りの次元がいつのまにか変わっているような、地と思っていたら図であったというような、構成の妙という点では「アサッテの人」、さらに時代モノという点では「吉原手引草」などの最近の文学賞作品に共通する。
・アサッテの人
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005112.html
・吉原手引草
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005110.html
こうした知的からくりの面白さと同時に、幻の作品「夫婦幽霊」の出来が本当に素晴らしいことが、この作品を傑作にしている。作中で芥川龍之介が言う「先生、およしなさい。論(セオリイ)はいけません。物語(ロマンス)をお書きなさい。円朝をやりなさるんならセオリイだけではいけません」。これはこの作品についてのメタ言説なのだろう。
たいへんな知識量と書き手としての技芸がないと、この作品は書き得ない。この小説は「これはすごい」である。