死者の書・身毒丸
「古墳の闇から復活した大津皇子の魂と藤原の郎女との交感。古代への憧憬を啓示して近代日本文学に最高の金字塔を樹立した「死者の書」、その創作契機を語る「山越しの阿弥陀像の画因」、さらに、高安長者伝説をもとに“伝説の表現形式として小説の形”で物語ったという「身毒丸」を加えた新編集版。 」
高名な民俗学者 折口信夫が書いた歴史小説のようなもの、である。本文は旧かなづかいで書かれていて、本格の学者が偽書を敢えてつくろうとしたようにも思えるが、研究の間の手すさびというには終わらない作品としての完成度を持っている。
併録された自身による小説の解題「山越しの阿弥陀像の画因」で、著者は執筆動機と意図についてこう書いている。
「渡来文化が、渡来当時の姿をさながら持ち伝へていると思はれながら、いつか内容は、我が国生得のものと入りかはっている。さうした例の一つとして、日本人の考へた山越しの阿弥陀像の由来と、之が書きたくなった、私一個の事情をここに書きつける。」
「まづ第一に私の心の上の重ね写真は、大した問題にするがものはない。もっともっと重大なのは、日本人の持って来た、いろいろな知識の映像の、重なって焼きつけられて来た民俗である。其から其間を縫うて、尤もらしい儀式・信仰にしあげる為に、民俗々々にはたらいた内存・外来の高等な学の智慧である」
「死者の書」というと古代エジプトのそれが連想される。実際、昔の単行本版の表紙絵はエジプトの壁画風なものだったようだ。この物語に出てくる霊のイメージは、最初は死者の魂なのだが。顕現するときには阿弥陀という仏教の姿で出てくる。死んだら仏。日本の死生観は神仏習合なであり、和・漢・洋の死生観の重ね焼きでもあり、多くの外来要素が詰め込まれている。しかし、それが全体として調和して、日本の霊性の世界を作り出している。