吾輩は天皇なり―熊沢天皇事件
戦後の混乱で天皇の地位が一瞬揺らいだとき、「南朝の末裔である我こそが真の天皇である」などと主張する、なんちゃって「テンノウ」たちが乱立した。その中で最も有名な人物、熊沢天皇こと熊沢寛道の奇矯な半生を追う。この自称天皇は昭和天皇をニセモノとして裁判所に訴え、皇位の返還せよという勧告状を送り、北朝の天皇と同じように地方を「巡幸」してみせた。マスメディアもネタとして取り上げることが多かった、「時の人」であった。
山師、詐欺師の跳梁跋扈する時代であったが、この熊沢天皇は根っからの詐欺師というわけではなかったようだ。本気で自身の正統性を信じていたらしい。取り巻きはそれを利用した。熊沢寛道が本当に南朝の末裔なのかどうかは実際にはよくわからない。そもそも血がつながっているかどうか、と天皇としての正統性は関係がないという意見もある。
裁判所は熊沢の抗告をこう言って却下した。
「天皇であることが、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴なのであるから、現に皇室典範の定めるところにより、皇位にある天皇が、他のいかなる理由かにおいてその象徴たる適格がないかどうか、というようなことを云々する余地は全くないものといわなければならない」
当時の新聞に熊沢天皇問題について大宅壮一は次のように述べた。
「血のつながりをたどっていけば、すべての日本人がどこかで皇室につながっていることになる。”1億総天皇家”ともいえよう。問題は、血のつながりを世間が承認しているかどうか、というよりも、それにふさわしい地位権力を保持してきたか、今もつながっているかどうかということにかかっている」
つまり、天皇であることはその資格があるか云々の話ではなく、現に天皇であるから天皇であるということなのだ。熊沢天皇の滑稽さは、相手方が決めたルールで自身の正統性を訴えるしかなかったこと、そのルールさえ近代になって作られた神話に過ぎなかったことにある。
「寛道もまた、天皇を万世一系の現人神とし、その現人神である天皇をトップにいただいて臣民が一家をなすのが神代以来の日本の国柄であり国体だとする。明治以来の巧妙な洗脳教育が生んだ”作品”のひとつにほかならなかった。」
「寛道らの運動を成り立たせているもの、それは明治以降の政府がつくりだした「万世一系」という虚構にほかならない。彼らは後南朝というフィクションにとりこまれたのではなく、実は万世一系の現人神天皇という、権力者側がつくりだした虚妄の神話にとりこまれ、その妄想世界を、戦後になっても、ただひたすらさまよいつづけたのである。」
現代日本でも、つい最近、女系天皇の可否を議論する際に万世一系が重要時として取り上げられてきた。万世一系はそれほどまでに強力に国民に浸透した神話であり、その土壌のなかから色物としての熊沢天皇らが生まれてきた。しかし、この神話を本当に巧妙に利用してきたのは、この国を動かす権力者たちであったということを、著者は指摘する。
熊沢天皇という戦後の仇花の奇人伝に終わらず、今も続く天皇の権威の正体に迫る濃い内容に驚いた。新書だが相当読み応えがある。