青い鳥
重松清、学校を舞台にした8本の短編連作集。傑作。
私は小学校も中学校も高校も、学校生活というものが嫌いで、毎朝、行きたくないなあ、と思っていた。登校時間は本当に憂鬱だった。教室に友達がまったくいないわけでもなかったけれど、同質な「みんな」の輪に入るのは苦手で、一人でいることが多かった。小中と長期の欠席が日常茶飯事で「義務」でなくなった高校は1年行かずに中退した。私の人生はどうなっちゃうんだろうと自分でも思ったが「みんな」には同化したくなかった。落ちこぼれでいいから、私はみんなと違う存在でいたかった。家や図書館でひとり、本ばかり読んでいた。ああ、なんと寂しく惨めな少年時代...。
学校が大好きだったという人も世の中には多い。ウチの妻などはそうなのだ。だから小学校や中学校のお互いの思い出を話したりすると、基調においてかみ合わない。私は学校というのは嫌なところだった、教師は敵、やれやれ大人になって良かったよ、という”恨みマイナー調”で話す。妻は大切な青春時代の一コマ、あの先生どうしているかな、できれば戻ってみたいなんて考えているのであろう、”幸福メジャー調”で話す。メジャーとマイナーが衝突し、この話題では常に平行線をたどる。最近はそれが我が家の子供の教育方針問題において、火種となりかねない不穏な様相をみせている、のであった。(まあ気にしませんがw)。
で、この本は私と同じように、学校が嫌いだった人に、おすすめである。
選択国語の臨時講師、村内先生の短期赴任先は、いじめや自殺、学級崩壊や児童虐待などの問題を抱えた問題クラスばかりである。吃音でうまくしゃべることができない先生は、最初の授業から好奇の眼で見られ、からかわれて、迷惑だとまで言われる。だが、村内先生は、多くをしゃべれない代わりに、生徒に寄り添い、たいせつなことだけを話す。孤独な先生だからこそ、孤独な生徒に語りかけることができる。
問題学級を渡り歩く、吃音でうまくしゃべれない臨時の国語講師。かなり寓話的な初期設定だが、8本の連作の中で、少しずつ、そのキャラの存在感が濃くなっていく。村内先生ならきっとこういうときには、こういうにちがいない、なんていう想像ができてしまう。重松清はまったく新しい教師の理想像を確立したと思う。これテレビドラマや映画にしたら、金八先生や夜回り先生を超える名キャラクターになりそうだが、学校好きのマジョリティには、あんまり受けないのかなあ?。
・送り火
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005057.html
・ビタミンF
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005084.html