ミクロコスモス I
思想家 中沢新一の最近の評論、エッセイ、講義録をまとめたもの。どれも読みやすい。
レヴィ=ストロース構造主義の総括整理が個人的にはよかった。
西洋の精神は「論証」「抽象」「実証」の精神であるのに対して、レヴィ・ストロースの「構造」は、そのイメージに反して抽象的でも形式主義的でもない「具体の科学」そのものだとし、もうひとつの知のはたらき=野生の思考をこう説明する。
「彼の「構造」は単なる文化コードではない。それは自然と文化のインターフェイス上に働く自然智的コードだ。そのために、「構造」は弁別的知性の上で働いていないこといなるので、当然それは「無意識」の働きということになる。「構造」とは、もっとも厳密な意味で「詩的」なレヴェルの現実である。」
「私たちは根本的に自分の思考のあり方を変えなくてはならないのであって、そのとき身体が重要な拠点になる。ただしその身体は、リビドー的な無意識が渦巻くカオスとしての身体ではなく、いたずらにスポーツする健康なだけの身体でもない。たいせつなのは、身体のなかで具体的なかたちで動いている、ある種の知的なものの動きを知ることである。その知性の働きのことを、レヴィ=ストロースは「構造」と名づけたのである。仏教ではそれは「知恵」と呼ばれたことを考えても、彼の思想はまったくアジア人である私たちには近しいものに感じられるのである。」
レヴィ=ストロースの構造主義といえば、たとえば近親相姦のタブーに関する研究がよく知られている。親戚関係の誰と性交してはいけないかは、部族によって異なるのだけれど、どの部族にも必ず、してはいけませんというタブーが存在する。そうしたタブーの存在という普遍的な構造は、部族間の女性の交換を保証するための規則であると結論した。結果として生物学的多様性や文化の流動性が生まれる。そうしたはたらきは西洋の合理的精神ではなく、無意識のはたらき=野生の思考がうみだすものである、としたのがレヴィ・ストロースだった。
「論証」「抽象」「実証」など現代を覆う科学的認識では、自然の美しさ、複雑さ、それがもたらす感覚的喜びが否定されてしまう。自然に内在する知性作用によってこそ、私たちはもっと高次の豊かな認識に到達できるはずだとし、「これこそが「自然の叡智」と呼びうるものである。私たちの二十一世紀をどう切り開いていくかという思想の鍵がここにある、と私は思う」と著者は書いている。総括したうえで現代における意義を語っているのが、この著者らしさ、学者でなくて思想家らしいさだなと思った。
この本にはこのほか、岡本太郎、グノーシス、アースダイバーネタ、芸術人類学など、幅広いテーマの考察が並ぶ。寄せ集め風だが、一気に読ませる内容になっていて満腹。