心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション
この人はどこまで本気なのだろう?と眼が離せない脳機能学者 苫米地英人氏の近刊。幅広い分野で活躍する同氏はカルト宗教信者のマインドコントロールを解除する方法の研究でも知られる。
「他人を動かす方法は、基本的に人参ぶらさげ式でしかありません。人参をぶらさげる高さは、相手の視点の高さに合わせます。視点の低い人には低い位置で、高い人には高い位置でぶらさげるのです。」
「しかも、相手が意識している空間ではなく、無意識の空間にぶらさげることが重要です。相手に気がつかれたら「何かやってるなぁ」と思われてしまいます。」
「ですから、意識の空間での論理的判断をされることを防ぎます。防いだ上で、人参をぶらさげるのです。相手に気づかれてはいけないのです。相手の意識している空間は、意識されているがゆえに操作できません。無意識の空間だからこそ操作できるのです。」
ということでゲシュタルト操作が人を動かすには有効であると論じる。
ゲシュタルトとは部分の総和として全体を理解するのではなく、全体と部分の双方向的関係を認知する脳のはたらきのこと。こういうと難しくなるが、日常、私たちの心に浮かぶ多くの事柄は、100%要素に還元できないイメージなのであって、脳の情報空間はゲシュタルトの操作系なのだである。
「例えば、数学者と多次元空間や虚数空間の話していると、「このあたりが......」などと言いながら、空中の何かを触るような仕草をします。けれども、多次元空間や虚数空間を、この世界で触れるわけがないのです。あくまで抽象的なものです。ところがそれができる、ということは、情報空間を、臨場感をもって体感している、ということです。」
こういう抽象的感覚はわかる気がする。たとえば、私は、日常で物事がうまくいっているときは瑞々しく濡れている感覚がある。逆に万事うまくいかないときはかさかさになっている感じがある。かさかさのときに、心に響く言葉と出会うと、瑞々しさを取り戻せる。何がかさかさなのか?と言われても説明できないのだが、私にとっては極めて臨場感のあるイメージだ。高次の情報空間のゲシュタルトの問題なのだろう。
そうしたゲシュタルト操作の基本として、
「相手を自分の臨場感の世界に引きずりこむためには、その人の臨場感に対して記述をすればいいのです。言葉を使わないやり方もありますが、言葉を使うと簡単です。相手の体の状態に対する記述をするのです。」
と著者は教えている。
たとえば何気なく座っているときに「イスの感触を感じていますね」と言われると、人はそれを意識するが、椅子に座っている自分の意識は、そのとき作られたものである。「この本」と言われてその本を見ると、それは相手が記述した世界の本を見てしまう。こうして、相手のリアリティ(R)を記述によって揺らいだリアリティ(R´)に置き換えて、R´を操作する方法論の概要を紹介している。
認知心理学、脳科学、情報科学、組織論、宗教、洗脳術など著者の得意分野が、リーダーのためのマインドコントロール術に体系化されている。著者の断定口調には反発を感じる部分もあるのだが、読み進めるうちに、次第にそうかなあと思ってきたりする。まずい。操作されているかも。