図説 金枝篇
少し値が張る本だが、長大な民族学の古典「金枝篇」を見事に要約し、原典にはなかった写真やイラストで本文の理解を深める工夫が素晴らしい。装丁もよく、本として完成度が極めて高い内容。フレーザーを読むならこれがおすすめ。
「
ローマの近くにネミという村があった。その村には、古代ローマの時代より、森と動物の女神、豊穣の神ディアナと、ディアナの夫ウィルビウスを祭った神殿があった。この神殿では、男は誰でもその祭司になり、「森の王」の称号を得られるというしきたりがあった。ただし、祭司になるには、男はまず神殿の森の聖なる樹から1本の枝 -「金枝」-を手折り、それで時の祭司を殺さなければならなかった。こうしてこの神殿の祭司職が継承されてきたのである。祭司になるのに、なぜ時の祭司を殺さなければならないのか? なぜまず聖なる樹の枝を手折らなければならないのか?この二つの質問にたいする答えを求めるのが本書『金枝篇』の目的である。
」
呪術には、「似たものは似たものを生み出す、結果はその原因に似る」という類似の法則と、「かつて互いに接触していたものは、その後、物理的な接触がなくなっても距離をおきながらひきつづき互いに作用しあう」という感染の法則の二つの原理がある。類似の法則からは類感呪術が、感染の法則からは感染呪術が発生する。
類感呪術とはたとえば敵に似せた像を傷つけることで、その敵本人を呪い殺すような術である。感染呪術とは相手の身に着けていたものや髪などを使って本人に影響を与えようとする術のことである。
冒頭に引用したネミの祭司殺しや金枝とはいったいなんなのか。世界中の神話を比較分析することで、共通項をみつけ、荒唐無稽に思える神話に隠された人類にとって普遍的な意味を見出そうとする。
フレーザーは世界中の民族の呪術やまじないの膨大な数の事例を収集した。フィールドワーカーではなく書斎にいながら文献で情報を集めるタイプであったそうだ。フレーザーの仕事は”未開人”を見下しているような態度の記述もあったり、根拠のないデータが混ざっていたりして、後世の評価は肯定的なものばかりではないようだが、出版当時、大きな話題になり、民族学の基礎を築いたのがフレーザーであり、金枝篇であったことは間違いない。
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結局のところ、科学という総合概念、つまり、ふつうの言葉でいえば、自然の法則だが、それは、人間のものの考え方が生み出したくるくる変わる幻影を説明するためにひねり出された仮説にすぎないことを忘れてはならない。われわれはその幻影を世界とか宇宙といった大仰な呼び方で権威づけているだけなのだ。とどのつまり、呪術も宗教も科学も人間のものの考え方がつくり出した理論にほかならないのである。科学が呪術や宗教に取って代わったように、科学もまた、いつの日か、もっと完璧な仮説によって取って代わられるかもしれない。
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もはや古典だが、いま改めて読んでも面白い一冊である。