笹まくら
故・米原万里が書評集「打ちのめされるようなすごい本」で打ちのめされるようなすごい小説として絶賛していたので興味を持った。40年前(昭和40年頃)に丸谷才一によって書かれた河出文化賞受賞の傑作である。
舞台は終戦から20年後。私立大学の職員である主人公の浜田は一見穏やかな生活を送っている。浜田には戦時中に死罪に値する徴兵忌避をして、日本中を女と逃げ回った後ろめたい過去があった。平和な時代になって、それは法的にはもはや罪を問われることのない経歴であったが、世間の目は冷ややかであった。
笹まくらとは、落ち着かない、不安な状態のことである。浜田の戦時中の逃避行と現在の息苦しい職場生活の二つの時制の笹まくらが重ねあわされる。過去の回想と現在の思考を空行で区切ることなく、意識の流れのままに文章化した独特の文体が、思い切ることができない浜田の憂鬱な心情をそのまま表している。時制が途切れない文体と並んで、捻りの加えられた構成の工夫も見事で、終始、緊張感のある物語に仕上がっている。
私が高校時代に丸谷才一を知ったのは小説ではなく、名著「文章読本」の著者として、であった。この本はさらに10年後、ライターの駆け出しだった私に編集者が薦めてくれた本でもあり、今でも思い入れのある本で、何がしかの影響を受けた。だから丸谷才一は私にとっては文章術の先生のイメージであった。小説を読んだのは実はこれがはじめてなのであった(本末転倒)。
翻訳者であり、ジェイムズ・ジョイスの研究者でもあった丸谷は、日本語を客観視して、技巧によって名文を創り上げる努力をする作家であると言われる。学者であると同時に芸術家であり、技を知り尽くした上で、無意識の発露としての創造性を、この作品に結実させている。
徴兵忌避というテーマは、執筆時点でも既にふた昔前の遺物であったが、さらに40年が経過した。主人公が感じているのは脱走兵と同じような後ろめたさなのだろうなと想像して読むしかないわけだが、現代の読者の私にも、逃避行のスリルはとても生々しく感じられた。時代性が産んだ小説であるが、時代を超えた普遍の面白さを秘めている。戦後の余韻の時期である発表当時の社会的インパクトは、さぞかし大きなものだったのだろうと思った。
面白い古典である。