企画書は1行
一枚企画書を超えて、企画書は渾身の一行に賭けよ、と説いた本。
(文字通り一行の企画書を書けという意味ではない。)
コンサルタントの仕事をしていると、分厚くビジュアルな企画書を書くのが仕事だと思い込んでしまう時期がある。コンサルを専門とする会社では、特に若手はたくさん書かないと企画書として認めてもらえない雰囲気もある。それで何十ページや何百ページの豪華版を作ってしまうわけだが、最終決定者が企画にGOサインを出す判断は、やはり企画書の長さではなくて、渾身の一行の精度なのである。
有名な経営者、プロデューサたちの企画立案の心構えと、彼らの代表作の一行が読める。
「一生屋台を引くことはできない」という覚悟の一行メッセージで、投資家から出資を引き出し、お好み焼きチェーンを創業した成功者。「彼女の部屋で遅めのランチ。パスタを食べながらグビグビ」でヒット商品の缶チューハイを開発したキリンビール。「人の命をどう考えるのか」で救急ヘリコプターのネットワークNPOを設立した元警察庁長官。現状と理想像を合成写真で並べて「この二枚の写真を見てください」と役所を説得した地域活性化のリーダー。
「企画書は内容のまとめではない」
「つまり、企画書の一行とは読んだ人の脳裏に風景を映し出すことなのだ」
聞いた相手の心に鮮明な映像をむすぶような一行が企画書の本質であって、それ以外はおまけに過ぎない。実現に結びつく企画書の共通点はその一行があるかどうか、というのがこの本の要旨である。それを伝えるために多数の企画者の事例が紹介されている。
私も思い当たる経験がある。必死に書いたWeb構築の企画書でプレゼンし大きな仕事をもらって喜んでから、数年後、GOを出してくれた経営者と飲んでいた席で、こんな風に言われた。「あのとき、橋本さんの企画書はどうでも良かった。それより、あなたが、あらゆる手段でアクセス数を上げて見せますって本気で言っていたから通したんですよ」。
私は当時、アクセス向上委員会と言うコミュニティを運営していて、ホームページのアクセス数を高める仕組みを研究し、本を書いていた。その経営者は、もともとそういう背景を評価して私に提案させていたのだから、企画の趣意が「本気であらゆる手を使って人気サイトつくります」でよかったのである。何ページ後ろについていようと、特定の方法論が書いてあろうと、それはおまけだったのだ。
プロの専業コンサルはともかく、フリーランスやベンチャーの場合、大手企業から企画提案を要請されるということ自体に、二者の関係性が確立されているということでもある。そこを認識しないで、一行のない、小手先でたくさん書いた企画書を出したら逆効果ということもあるだろう。企画書をさあ書くぞと気負っているとき、意外にその前提を忘れがちだと思う。本来相手の方が専門家であるビジネスについて、一般的な市場分析から入って、的を外してしまったりする。仕事を始めた頃、書いた企画書は今思い出すとそうした恥ずかしい失敗が満載だった。
ズバリの一言で意思決定者の合意を得て、必要ならば後から長大な企画書を作るというのが正しい企画マンの仕事なんだなと思った。
・鉄則!企画書は「1枚」にまとめよ
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・40字要約で仕事はどんどんうまくいく―1日15分で身につく習慣術
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