ハイゼンベルクの顕微鏡 不確定性原理は超えられるか
物体を観察するには光や放射線を対象にあてて反射させたり透過させる必要がある。このとき、電子のような量子レベルのミクロ世界では、光の粒子がぶつかる作用で観測対象が動いてしまう。何かをぶつけることが観察なのだから、ぶつける前の観測対象の電子の位置と運動量を正確に知ることはできないことになる。これがよく知られるハイゼンベルクの不確定性原理の基本「量子力学的な物体の位置と速度を同時に知ることはできない」である。
不確定性原理にはもうひとつの説明がある。そのような観察行為による反作用がなくとも、量子レベルの観測対象の位置と運動量は本質的にゆらいでおり、その値を誤差なく知ることが原理的に不可能である、というもの。量子の世界でなくても、私たちは√2のような長さは、どんな精密な物差しでも、正確に測ることはできない。くわえて量子レベルでは粒子は確率論的に存在する。連続するなめらかな線を描いて移動していない。次の瞬間の粒子の位置は確率的にしか知ることができないのである。
量子力学は、その原理を前提として発展し、科学技術を発達させてきた。古典力学系におけるニュートンの万有引力やアインシュタインの相対性理論に匹敵する原理であった。だが、その基盤を日本人の研究者、小澤正直東北大学教授が今、疑っている。ハイゼンベルクは上の二つの説明を、同じものの異なる側面であるかのようにひとつの式で証明しているが、もし二つが違うことを言っているのだとしたら、どうか。ハイゼンベルクの大前提が壊れるかわりに、新しい「小澤の不等式」に拡張され、量子力学は新しい時代へ進む可能性がある。
これは20世紀の量子力学の歴史の要約と、その歴史に新たな1ページを加えるかもしれない「小澤の不等式」の学説を紹介する一般向けの本である。不確定性原理は量子力学だけでなく、20世紀の思想・哲学にも大きな影響を与えてきた。人間の知性と自然科学の限界を表わす象徴的な存在でもあった。もしその根本原理が塗り替えられることがあるならば、影響は科学だけにとどまらないかもしれない。そんな根源的な仮説を日本人が打ち出して注目されているとは知らなかった。
後半で解説される小澤の不等式の詳細を理解することは数学の素養がないと難しい。私は、そこに登場する数式レベルでは半分も理解できていない気がする。だが、概略レベルではなにが違うのか、直観できたと思う。小澤の理論は、ハイゼンベルクが使った「観測行為」や「正確さ(誤差)」ということの意味を精緻化し、再定義しているようだ。その結果、ハイゼンベルクの不等式は不完全であり、もっと複雑な式でなければ、量子の振る舞いを説明できないはずだと結論する。そして出てきたのが小澤の不等が式である。
本書の前半は、ハイゼンベルク、アインシュタイン、ボーア、シュレディンガーなど20世紀の量子力学の発展に貢献した知の巨人たちの論争の物語がゆっくり語られている。もしこの仮説が将来認められれば日本人がこの偉大な量子力学史に名前を残すことになる。先取りして読んでおけるの魅力の一冊。
・プリンストン高等研究所物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003621.html
・奇想、宇宙をゆく―最先端物理学12の物語
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・ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論
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・量子コンピュータとは何か
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√2は、(物差しで計ることは出来なくても)、値は100%確定していて、ゆらいでいない。
本からの抜粋かもしれないけど、例としては、まずいのでは?
橋本です(まずい、ボロが出そう、汗)。
確かにそうですね。√2はこの本にも説明の一部に使われているのですが、飽くまで古典力学系での遠い比喩として軽く出ただけで、不確定性原理の説明自体に使われたわけではありませんでした。
「量子の世界でなくても、私たちは√2のような長さは、どんな精密な物差しでも、正確に測ることはできない。」に取り消し線を引いておきます。
2の平方根の値は揺らがないのですが、それを測定する物差しの長さは揺らぎますよね。だから、ある長さがあったとして、それを厳密に測定しようとしても、物理的な物差しが揺らいでしまうので無理、という例であったような。