もうひとつの愛を哲学する―ステイタスの不安
ドイツのフィナンシャルタイムス紙 年間最優秀経済書受賞作品。
大人の人生はすべて、二つのラブストーリーで決まる。第一は性的な愛の探求の物語。もうひとつは世間からの愛=ステイタスの物語。他者に認められたいという思いは、組織中心の時代になって、一層、一般的で、切実なものになってきた。
米国の労働者のうち、他人に雇われている人間の比率は、1800年には20%だったものが、1900年までに50%になり、2000年までに90%に達したという。500人以上の組織に所属する人間の比率は1900年には1%だったのに対して、2000年には55%に達した。大きな会社組織の中で、一定のステイタスを得たい人間が過半数を占めることになった。それは希望の裏返しとしての、ステイタスの不安に悩む人々の社会になったということでもある。
「勝ち組」「負け組」という言葉もステイタスの不安が生んだ言葉だろう。能力主義社会は、富めるものは役に立つものであり、貧しいものは愚かで役に立たないものだという価値観を人々に押しつける。古代では腕力が強い人間が勝ち組で、弱い人間は負け組であった。いかにキリストの正統な教えに近いかが社会的地位を決めた時代もあった。
ステイタスの不安の根源は、そうした時代状況や権力関係がつくりだす画一的な価値観にある。この本では、近代以降の社会における、ステイタスの不安と超越の歴史が語られる。世間からの愛を感じる、その感受性を変えることで、人はもっと自由に生きることができると説く。
「
ステイタスの不安の成熟した解決は、ステイタスとはさまざまに異なる観衆から受け取ることができるものだと認識するところから始まるーーー産業資本家からも、ボヘミアンからも、家族からも、哲学者からも。そして誰を観衆に選ぶかは、わたしたちの自由だし、わたしたちが欲するままだと認識するところから始まる。
」
哲学、芸術、政治、宗教、ボヘミアの5つの分野で、人々がいかにオルタナティブな価値観や生活経済の基盤をつくり、ステイタスの不安を超越してきたかが、後半の主要テーマとなっている。これらの分野では大衆に認められずとも、既成の価値観に対して、批判的価値観のヒエラルキーを打ちたて、独自の社会的ピラミッドの中に生きることを選んだ人たちがいる。
プライドを持って生きること、少数でも尊敬しあえる人間関係を築くこと、金銭的報酬以外の報酬で豊かなライフスタイルを形成すること。愛を求める観衆を誰にするか、理想とする価値観は何か、を自分なりにとらえなおすことで、人はもっと幸福で満ち足りた社会関係をつくりだせるはずだというのが著者の結論である。
たとえばその「観衆」がブログやメールマガジンの読者だっていいはずだ、と思う。インターネットで個人の情報発信が盛んな理由、オープンソースプロジェクトに腕のあるプログラマが好き好んで参加する理由、ソーシャルネットワークで日記を書くのが楽しい理由。そうした行為の多くは、この本が語るもうひとつの愛の物語と関係が深そうな気がしている。
・世間の目
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002046.html
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自分の中の葛藤を見透かされているような話です。
ほんの十数人程度の会社に勤めてる私ですら組織に疲れ、そのはけ口を閉じられたMIXIやネット上のあちこちにぶちまけることで発散しています。
ブログの原動力ってそういうことだったのか、と。