羞恥心はどこへ消えた?
レンタルビデオ店でアダルトビデオを借りる際の男子学生200人の行動を調査分析したところ、そこには4つの作戦が発見されたという。
隠蔽工作
・カウンターに他の客がいないときを狙う
・カウンターに女性の店員がいないときを狙う
偽装工作
・用がなくても他のビデオコーナーを回る
・アダルトビデオ以外にも興味があるように装う
関与否認
・連続して借りない
・借りたらしばらくその店にいかない
他人行儀
・店員にわざと無愛想にふるまう
・店員とはできるだけ視線を合わせないようにする
地べたに座り込んだり、電車で化粧をしたりと、若者は羞恥心が薄れたなどと言われるが、こんな事例を見るとまだまだ根強く機能していることがわかる。羞恥心は進化上、極めて重要な役割を果たしてきた人間社会にとって本質的なものだと著者は論じる。
「
羞恥心は単なる自己顕示欲や虚栄心といった世俗的なプライドを守る道具ではない。人類が社会に依存して生きることを決めたときから、世代を重ねる中でアップグレードされてきたシステムである。進化心理学の視点から考えてみると、恐らく人類史の中で敏感な羞恥心を持たない人物は、社会から排斥されその形質を後世に伝えることができなかったはずだ。これが繰り返される中、より優秀な羞恥心の持ち主が社会の中で生き残り、このシステムはさらに洗練されていったものと考えられる。
」
人間は集団で生きるため、自分の中に「集団の存続や福祉に貢献できないこと」「協調性や道徳性の欠如」「対人魅力の欠如」につながる要素をみつけると強い不安を感じる。社会から排斥されてしまうのではないかと恐れて改善しようとする。そのセンサーとしてはたらくソシオメーターが、羞恥心なのだ。
この本に紹介された研究結果によると、羞恥心は以下の式で計算できる。
羞恥心=相手との関係の重要度×自己への評価の不安度
この式では、自分の会社の社長と初対面で失言をしてしまったときはかなり恥ずかしい、と例がある。関係は家族のように極めて親密であったり、二度と会うことがない他人のように極めて疎遠であったりすると、羞恥心は鈍くなる。ほどほどに親しい関係の相手が最も恥ずかしさを感じる対象であるようだ。
「ミウチ」「タニン」「セケン」という日本文化の区分けでいうと、ミウチとタニンはあまり羞恥心を感じない。「セケン」は恥ずかしいということになる。最近の若者の羞恥心の弱体化は「地域社会のセケン機能の低下」「地域社会のタニン領域への移行」「セケンの機能細分化とミニセケンの増加」というセケン弱体化と関係があるのではないかと書かれている。
ジベタに座り込む若者は、その地域社会をセケンと考えていないし、仲間同士の目だけを気にするミニセケンに生きていると指摘する。アンケート調査の分析により、ジベタに座ることが恥ずかしくないから、ではなくて、座らない方が仲間内で恥ずかしいから座っていることが判明する。羞恥心は弱体化したのではなく、感じる部分が変化してきただけなのだ。
羞恥心は文化によってかなり異なるようだ。世界には裸で暮らす民族がいるが、彼らの社会では男性は女性の性器を直視してはいけないという厳しい規律があるのだという研究が紹介されていた。
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