神道の逆襲
明確な教義がない曖昧な宗教と言われてきた神道。著者は仏教やキリスト教のような宗教らしい宗教の枠組みではとらえられない奥深さが神道にはあるのだと逆襲する一冊。
■神さまはお客さま
「
子どもの頃、外で遊び回って帰ってきて勢いよく玄関から飛び込み、大声で「ただいま」と叫んだ瞬間、何か様子がおかしくて一瞬戸惑った。そういう記憶をお持ちの方は多いだろう。そういう時、たいていは母親がそっと障子の向こうから顔を出し、「今、お客さんが来ているの」とささやく。その一言で子ども心は、奥深い何かを即座に了解したのではないだろうか。子どもが感知した、家の中に漂う言うにいわれぬこの雰囲気にこそ、神さまの経験の根っこがある。
」
お客様の滞在中の家に帰る体験のように、神道における神との出会いは現実の景色が反転するような体験であるという。瞬きをせぬ人間はいないが、その目をつぶっている瞬間に異世界が存在しているようなものらしい。
人々の平和で豊かな生活は、世界の裏側から来訪するお客様としての神様をもてなすことで実現されるというのが、神道の根本思想であるとする。外から来る客を選ぶことはできないので、それは福をもたらす神とは限らない。禍々しい災厄をもたらす神かもしれない。私たちにできるのは、よくもてなすことだけであり、それが祭祀であるとされる。
■馬鹿正直が愛される
柳田国男は有名な5大昔話(桃太郎、猿蟹合戦、花咲じじい、舌切り雀、かちかち山)に神と民の関係をとらえて「正直」が神に愛されると分析している。これらの話は近代になって子供向けに、善人や正義の美徳が勝つ話に単純化されているが、元の話は少し様相が違っている。
「
普通の人ならば格別重きをおかぬこと、どうだってもよかりそうに思われることを、ほとんど馬鹿正直に守っていた翁だけが恵まれ、それに銘銘の私心をさしはさんだ者はみな疎外させられたことになっていた
」
これは誠実とも異なる。子供の目は正直であるという意味に近いという。神のなすことは完璧なので「見えない神の不可解な要求をそのままに受け取ること、神を神としてあるがままに受け止めることが、五部書の説く正直の根本なのである」。この正直は無分別に近い神との純粋なやりとりである。反転していない世界側の人間からすれば、こうした正直は日常風景の中で異質な印象を受けるが、この正直さが祭祀の忠実な執行につながる。
この本は、古代の民間信仰から、伊勢神道、吉田神道、垂加神道、朱子学、復古神道、本居宣長、平田篤胤、柳田、折口の民俗学、近代の神道まで、神道の歴史の流れを丁寧に解説している。そこには日本人の精神性の源流を強く感じる。
とらえにくかった神道の教義や思想を俯瞰できる良い本だった。
・日本人はなぜ無宗教なのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001937.html
・仏教が好き!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001708.html
・「精霊の王」、「古事記の原風景」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000981.html
・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html
・禅的生活
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・日本の古代語を探る―詩学への道
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003206.html
・古代日本人・心の宇宙
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・日本人の禁忌―忌み言葉、鬼門、縁起かつぎ…人は何を恐れたのか
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