考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人
ベストセラーになった「ケータイを持ったサル」の著者が書いた本である。
・ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001907.html
■物事を深く考えなくなった日本人
科学技術が発達し便利な人工物で生活が埋め尽くされると、人は物事を深く考えなくなる。特にケータイを中心にしたコミュニケーションを変質させるITはヒトのサル化を促すという内容。
「
コミュニケーションを行うにあたって、言語を使用する場合のように、心や脳を使わないようになってくると推測される。ことばを用いるとは夏目漱石風に書けば「智に働く」ことに同義である。そうでなくて、もっぱら「情に棹差して」生活するようになってきている。これがコミュニケーションのサル化の本質といえるだろう
」
ケータイのメールは、絵文字のような記号でしかない。発信者が嬉しいか、悲しいか程度の内容しか届かない。霊長類の研究者である著者は、これではサルが恐怖で「キーキー」叫んだり、怒りに「ガッガッガッ」と吠えるのと同レベルではないかと嘆く。高度な言語操作が欠如していることで、脳が使われなくなり、廃用性萎縮を起こしていると指摘する。(この部分は著者が若者のメッセージの解読能力を持たないだけだと反論できそうだが...)
そして、
「
大事なのはメッセージではない。それどころかメッセージが来るかどうかということですらない。メッセージがもたらされるチャンネルが確保されているかどうか、という点に関心の主眼が置かれるようになってしまっているのだ。
」
という。つながっていないと不安は、インターネット依存症、チャット依存症、ケータイ依存症に共通する心理である。
そしてITで拡大された「つながり」の中で人は自分自身を見失う。
そもそも人間社会は他者の期待を自己に取り込んでいる部分が大きかった。「自分が本当に好きなこと、やりたいこと」は、他者や社会の期待にこたえることと密接な関係がある。自分はなにをすべきかを真に一人でみつけようとしても永遠の自分探しの袋小路に陥ってしまう。
従来は濃密なコミュニケーションで他者のフィードバックを得ることで「自分」をみつけることもできた。
しかし、
「
日本では、私たちひとりひとりの自己意識は、依然として他者との関係の中で形成される部分がかなり存在していた。外界との対立をはらんでいなかった。ところがIT化によって、その関係の枠が途方もなく拡大し、かつ輪郭が曖昧になる。結果として、「私」というもの自体が、とらえどころのないものに変質してしまった・
」
■有意味な人間関係は150人が限界
他者のフィードバックを考える上で、認知的集団の限界という話は面白い。
イギリスのサル学者のロバート・ダンバーによる調査。人間はどのくらいの規模の集団で生活しているかを様々な地域の、様々な組織で調べた。その結果、約150人が現代の人間が共同生活を営むのに最適な規模だという結論に達したという。軍隊や会社、宗教組織などの機能単位も約150人である。これが構成員が個人的つながりを持ち、信頼関係を保てる限界なのだ。
実際、軍隊でも中隊は150人のままであるそうだ。通信技術が発達して隊の規模を大きくしてもおかしくはないのだが、経験上、これを超えると一堂に介した際、視覚的に全員を見渡せなくなる、ということとも関係するようだ。
いくらでも人間は「つながる」ことができるが、「私」への「他者」のフィードバックを受ける規模には上限がある。150人を超える他者とケータイやメールでつながることができても、この限界を超えて有意味な関係を取り結ぶことはできないということにもなる。
MixiやGreeなどのソーシャルネットワーキングサービス(SNS)のユーザとしてこれは実感する。私には200人の知人が登録されているが、登録者数が100人を超えたあたりから、私がSNSから受け取れる関係性の価値はほとんど変わっていないように思えるのだ。
友達100人できるかな?。できるけれども、それ以上は意味がない。個別に向き合ってフィードバックを得ることができないからだ。1対200や1000や10000という関係性はほとんどメディアと読者の希薄で一方向な関係に後退してしまうのだと思っている。
さて、この本は前作同様、評価は分かれそうだ。
近頃の若者批判と社会心理学実験データによる裏づけという体裁は前作と変わらない。相変わらず若者の視点まで降りて理解しようとはしない頑強なオヤジのボヤキであり、学者として豊富な知識を利用して、恣意的に実験データを選び、自論に強引に結びつけている点も相変わらずだ。
でも、本は売れそうだ。確固たるオヤジの視点があるから本としては面白いのである。実はサルとオヤジの戦いなのだと思う。ここで批判される若年層のコミュニケーションも、マーケティングの世界ではジェネレーションY流として、ポジティブに分析されることもある。
この本を読んで腹が立てばサルだし、同感ならばオヤジである。サルのほうが未来がある分、マシという見方もできるような気がするのだが、どうだろうか。
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この人、こんな本書いているけど、専門家が集まる研究会では、けっこういいこと言うんだよね。
サルとオヤジ、どちらがマシかは分からないけれど、少なくともオヤジは人間です。サルと人間の違いは、人間にとっては大きいのです。