神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
凄い本。今年の読書ベスト3には間違いなく入りそう。
著者はプリンストン大学心理学教授のジュリアン・ジェインズ。米国内外の大学で哲学、英語学、考古学の客員講師を歴任し、著名な学術誌の編集委員もつとめた人物。この本が生涯でただ一冊の著書。初版は1976年で、90年に加筆された「後記」を含めて、今年の5月に初めて邦訳された。出版時は様々な議論と批判を呼びながら「20世紀で最も重要な著作の一つ」と評された話題作だという。1997年没。
■古代人は意識を持たなかった?
この本が打ち出したのは、3000年前まで人類は現代人のような意識を持たず、右脳に囁かれる神々の声に従っていた、という途方もない仮説。
意識が何であるか、どのような性質を持っているか。最初に常識を疑うところから始まる。内観としての意識は世界の複写ではなく、概念や学習、思考、理性にすら不要で、その邪魔にさえなると述べる。
「
しかし、話を先に進めよう。意識が心の営みに占める割合は、私たちが意識しているよりははるかに小さい。というのも、私たちは意識していないものを意識することができないからだ。これは言うのはたやすいが、十分理解するのはなんと難しいことか。暗い部屋で、まったく光の当たっていない物を探してほしいと、懐中電灯に頼むようなものだ。懐中電灯はどの方向にあろうと自分が向く方向には光があるので、どこにでも光があると結論づけるに違いない。これと同じように、意識は心のどこにでも行き渡っているように思えてしまう。実際にはそうではないのに、だ
」
意識の連続性に対しても疑問を投げかける。
「
懐中電灯のたとえで言えば、自身が点灯しているときにしか、点灯していると意識することはない。たとえ点灯していない時間がかなり長かったとしても、周囲の状況にほとんど変化がなければ、懐中電灯には光がずっと点灯していたように思われるだろう。
」
意識は断片的にしか世界をとらえていないし、常に意識があるわけでもない。そして内観は不自由だ。何かを判断しようとするのに何百の言葉や比喩を用いざるを得ない。実はこうした内観的意識を使わなくても、人間は複雑な判断を正確に行うことができることが、いくつかの社会心理学的実験結果から結論できるという。
逆に私たちはピアノを弾くだとか、火をおこすだとか、熟練を要する作業をする際に、自分が何をしているか考えてしまうと、うまくできない。意識は思考に必須のものではなくて、おまけ程度のものである可能性がある。思考の大半は自動化されているからだ。
難しいことを言っているようでいながら、当たり前のことを言っている気もする。私たちは深く物事を意識して考えなくても、十分に日々生きていけるということだ。言葉を使って考える意識は、ここ数千年程度の新しいトレンドなのではないか、と著者は結論した。
■意識は比喩から生まれた世界のモデル
意識の本質は比喩と言語であるという。意識が使う比喩は、言語の比喩よりも広い概念で、メタファーだけでなく、連想や類似を含む。私たちは比喩能力と言語能力を使って、意識的に考える。その考え方には構造がある。
意識の特徴として次の6つの構造が挙げられた。
空間化 「心の空間」の中に目を向け、並べ、分別し、はめ込む
抜粋 見るものの一部に注目し、抜粋する
アナログの<私> 私が心の中にいて、何かをしたり、決意する
比喩の<自分> 比喩の私がいる。自分が何かをするのを想像することができる
物語化 行動に理由をつくりだしてしまう
整合化 過去に学習したスキーマに認知を整合化する、つじつまをあわせる
ところが、数千年前の記録である「イーリアス」「オデュッセイア」や旧約聖書には、こうした構造の記述が一切ないことを、著者は検証していく。精神的な事柄を表す言葉が見当たらない。神話の英雄たちは神々の声を聞き、それに従うのみである。世界の古代の記録や神話を比較して、それが特定の文学的手法である可能性も排除していく。
■沈黙した神々
そして共通して見出される要素に神々の声がある。古代人たちは二分心と呼ばれる心を持っており、片方の脳から神々の声を強い幻聴として聞き、それに従って生きていたのではないかというのだ。
現代においても神々の声を聞く人たちがいる。統合失調者の一部の患者たちである。彼らは耳元に幻の声を聞く。その命令に逆らえない人もいる。これは脳科学の進歩によって、理由が解明されつつある。脳には確かに神の声を聞くモジュールがあり、かつてそれは大きな役割を果たしていた可能性がある。
神々の声が消えた時代は、ちょうど共同社会の形成や文字の出現の時期に重なる。言語の出現で脳の使い方が変わり、神々の声は聞こえなくなる。この過渡期には神占政治やシャーマンの活躍があった。彼らは沈黙した神々の声を聞くことのできる二分心の脳の生き残りであったという。
3000年前まで人類は意識を持っていなかった。今も統合失調症に見られる、神々の声を聞き、強烈に信じる能力こそ、古代人の思考の本質であったのではないか、というのがこの本の要旨である。だからこそ、疲れを知らずに大ピラミッドのような偉大な建造物を作ることもできたのではないかという。
統合失調症が進化の原因とした本は過去にも書評している。
・天才と分裂病の進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001298.html
脳の構造の変化と意識の発生が、文明の始まりの時期にあって、それが現代に続く数千年の文明を作り上げてきた可能性があるという点は似ている。
とても緻密に織り上げられた理論で、ひとつの物語として、読後の満足度は極めて高い本だった。無論、検証する方法がない事柄も多いので、この仮説が全面的に肯定されることはないだろうし、完全否定されることもないだろう。ただただ面白いのだ。
ちなみに訳者は名著「ユーザーイリュージョン」と同一人物で、二人の著者にも交流があり、ノーレット・ランダーシュはこの本を「途方もない重要性と独創性を持った著作」と評したらしい。
・ユーザーイリュージョンの書評
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html
博物館で古代の遺物を見るとき、それはどのような精神の持ち主が作り上げたのだろうかとしばらく考えてみることがある。あまりに現代と異なる表現様式に、精神構造がまるで異なっていたのではないか、と思うこともしばしばだ。もしかすると、古代の遺物に感じるあの違和感は、こうした意識構造の違いに起因するものであるかもしれない。
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興味深い書籍ですね。私は統合失調症ではないと思うのですが、思索するときに疑問を自分の頭の中の池に投げ込んで、その結果何が思い浮かぶか、という手法をとることがあります。
私も先日読了して、未だ興奮冷めやりません。自分が生まれた年(1976年)にこんなすごい本を書いていた人がいたなんて、なんだか嬉しいです。
ボーっとしてても(意識しなくても)生きていける。でも、その奇妙さと言うか恐ろしさ・危険性に気づかされた感じです。「意識」があるのが良くないとかそういうことではなく、「意識」を持った我々がそれをどう活用していくかということが問われている気がしました。
今のところ私の読書ランキング上位3位には確実にはいっております。
面白そうな本ですね。
早速読んでみたいと思います。