オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す
読み物として面白い。著者の持論は私には衝撃的だったが、情報として読むべき部分もある。これは賛否両論の本だろう。著者は40代、女性、津田塾大教授。確信犯か。真意は読み取れなかったが、過激。過激と思う私がおかしいのか?。
■姥心の権化としての著者の論説に唖然とするが、時代の変化の予兆か?
ウーマンリブやフェミニズムの旗手が聞いたら激怒しそうな記述のオンパレード。
「
こういう言い方をすると本当に失礼なんですけれども、大した才能もない娘に「仕事して自分の食い扶持さえ稼げればいいんだよ」とか、「いい人がいなければ結婚なんてしなくてもいいんだ」というようなメッセージを出してしまうことは、その子にとってものすごい悲劇の始まりではないかと思うのです。
」
「
説明するのがちょっと難しくて誤解も生みそうなのですが、女性というのは、やはり、少しボーッとっとしているのがいいようです。こっちの世界にいるのかあっちの世界にいるのかよくわからないのだけれども、ふわっとしたような感じ、というのがよい状態だと思います。やっぱり、セックスを通じてそういう感じがもっとも身近に得られると思っています
」
「(夫婦のセックスについて)男と女の関係なんて、ぜったいそれしかないと思っていますから、それがうまくいかなくなるから離婚するのです
」
つまり、大した才能のない女子は、若さを売りにして男性を捕まえて十代後半から二十歳くらいで、とっとと子供を産みなさい。働いても大して社会の役には立てないのだし、結婚を逃したら後が悲惨。結婚したらセックスを楽しみなさい。女性は身体性が大きいから、精神性以上に重視しなさい。結局、一部のデキル女性以外は、難しいことを考えるより、そうすることが幸せなのよ、とアドバイス。大意はそんな感じである。
以上、ある程度、私が恣意的に抜粋したが、著者のメッセージはそれほど曲げてないつもりだ。上記はごく一部に過ぎない。似たような発言が多数ある。
え。
いいのか。
津田塾の先生はそうなのか?
と、日頃こうしたメッセージを聞きなれない私としては、思うわけだが、それなりに背景を持った先生が言っているようだ。これはもしかして、ウーマンリブ、フェミニズムの次に来る言説の予兆なのかと思ってしまう。
本の表題のオニババ化というのは、そうした身体性というか、セックスや出産を楽しめずに年老いた女性がギスギスした嫌な性格になったり、若い男を襲ったりする!現象を指している。そうした方向に現代は進んでいると著者は指摘する。
■生理、妊娠、出産の自己制御ができた昔の人間
著者の現代女性に送るメッセージの評価は男性の私にはよく分からない。古めかしい、近所のオバチャン的言説にも聞こえてしまうのだが、女性の身体性についての考察は情報として面白い。
女性は本来は意識的に排卵を知ることができたという記述がある。ポリネシアのある部族では思春期のうちは不特定多数の男子とのフリーセックスが当たり前であったが、夫を決めるまでは避妊していないのに妊娠しなかった。夫を決めると妊娠したという事例が取り上げられている。
つい数世代前までの女性には、生理の経血を制御する能力があって、ナプキン等の生理用品は不要だったこと。民俗学者、赤松啓介の研究を引用して、古い日本には、後家や中年女性が若い男子の性の実地教育にたずさわるケースが少なくなかったこと。鳥居は入り口、参道は産道、お宮は子宮でお神輿が精子、神社は女性の身体を表していること、などなどなど。
女性の身体性をめぐるユニークな事例を古今東西よりかき集めて説明してくれる。男性が読むと気恥ずかしいくらい直截的で生々しい記述も多い。が、女性から見た女性の身体性というのが、上野千鶴子らのまだまだ知的なフェミニズム論とも一味違っていて、新鮮である。男性が読んだほうが、むしろ、前述のメッセージに対して反感を持たない分、面白く読めるかもしれない。
■身体性とセックスが地球をやっぱり救うのか
先日書評した「気前の良い人類」でも、地球を救うのはセックスであった。
・Passion For The Future: 気前の良い人類―「良い人」だけが生きのびることをめぐる科学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002095.html
この本でも、大意をまとめると日本の諸問題と女性を救うのはやっぱりセックスだということになりそうだ。もうちょっと落ち着いた表現では「身体性」ということになる。
男女関係はセックスしかない的発言はともかくとして、日本では日常的に軽く抱きしめる文化がない不幸に言及している点などはなるほどと思う部分もある。
「
でも、日本では「ちょっと抱きしめる」だけのことというのはまずあり得ませんから、「抱きしめるからには最後までいかなくてはいけない、そうしないのなら、何もしてはいけない」というような極端な状況が、援助交際のような外国の人から見たらたいへん異常な事態を引き起こしているように思うのです
」
援助交際の原因かどうかは分からないが、男性である私の、十代の個人的体験を振り返っても、そうだったなあと思う。同年齢の異性とはオールオアナッシングな身体関係であったと思うし、両親や友人との身体接触、抱きしめるなどはほとんど経験がない。
こうした身体接触の体験は、昔の日本や世界ではおおらかな文化があり、互いの裸を見たり触れ合ったりする場があったとフィールドワークの成果を著者は提示する。現代人はそれができない分、抑圧され、変な方向にエネルギーが噴出して、良からぬ犯罪や行為に至るのではないかと分析されている。
出産もまた同様である。16歳くらいになれば若年出産はさほど身体への問題がないという話も出ている。あまり男性を選り好みせずに結婚して、若いうちに子供を産んでしまいなさいということにつながる。そして出産体験や子育て体験が、女性の身体性の欲求を自然に満足させると。
身体性を無視してきた結果が現代のさまざまな問題を生み出したのだから、一度もうすこし、おおらかな時代へ回帰することで解消しましょうというのが言いたいことだろうか。感想としては、人間は、人間としての幸せと同時に、オス・メス・動物としての幸せも追求しないと、根源的な部分で失うものが多いということなのかなと思った。
最後に。こんな本を薦めないでよ、とお怒りになる女性もいるような気がしている。それは私の杞憂なのだろうか。むしろ、そんな心配をする私の感覚が古いのか。著者の論旨はかなり明確で、エネルギッシュに、オニババになるな、女の幸せはカラダよ、オトコとセックスすることよ、と繰り返される。女性読者の反応を知りたい興味深い一冊である。
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興味深く記事を拝見させていただきました。
最近自分が読んだ「女はすべからく結婚すべし」という本があります。こちらは、男性の筆者が書かれたものですが、記事からしますと、同内容だと思います。比較のためにご一読いただくと面白いかなぁと思いました。
記事を興味深いと思うと同時に、女性として一言発言したくなったので、コメントさせていただきます。
今、少子化が社会問題となっているためか、結婚しない出産しない女性を結婚に向かわせるための書籍や記事が目に付きます。
でも、なぜ結婚しない男性には結婚をあおる記事や書物がないのかなぁと思います。
子供の頃、女性が一生に出産する子供の数が減少しているというニュースを始めて聞いた時、「男性が一生の間に扶養する子供の数が減少している。」という現実はニュースにならないのかと思いました。親にそのことを言ったら、「そんなところにこだわるのあんなだけよ。」と聞き流されましたが。
しかしながら、人間は社会的な動物です。身体的に、女性がメスとして子供を産むことが出来るとしても、またそのことが身体的にも良いと知っていても、社会的にそのことが可能だ、安心だという現状がなければ、女性は出産を前提にした結婚はしないと思います。
いまどきの女性が出産や結婚を意識的に無意識的にためらうのは、これから先子供育ててつつ、自分が社会の中で安心して生きていけるという安心感を感じられない社会制度、雇用状勢におかれているだと思います。
人生一山越えて(失礼!)、自分の老後は確保している世代に結婚を促されても、反発したくなります。
また、記事に寄れば、
>大した才能もない娘に「仕事して自分の食い扶持さえ稼げればいいんだよ」とか
とされています。ある意味、低〜中間所得の女性を指していると思うのですが、所得の低い層ほど結婚が出来ないという状況も現実的にあると思います。
出産についても共働きしている家庭の方が、子供の数が多いと言う統計結果を見かけます。
もし、本気で女性の結婚を促し、出産を促したいと思って本を執筆するのであれば、女性が仕事しながら出産できる社会的環境構築について書く必要があると思います。
筆者の言う「大したことのない才能」の女性ほど、社会的環境から影響を受けて生きていると思います。そのことを考えがおよんでおられていない(ような)のは、片手落ちだと思います。
記事の引用からのみ、この本の内容に反発を覚えてしまいましたが、後日読んでみたいと思います。興味深い本の紹介に感謝いたします。
赤松啓介の著作を読んでから、「結婚」への過大評価そのものが「ギスギス」感の源なのではないか、と思うようになりました。
人々のおおらかなセックスそのものが近代的な婚姻制度によって崩壊してしまったところ、たしかにあるのではないでしょうか。よきおおらかさを取り戻すには、三砂のような、いくらか頭の硬いと私には見えてしまう観点からではむずかしいだろうなぁと感じられます。
赤松の著作、「味わい」深い事実記録としても読めるものです。ちょっと最近は書店で見かけるおりも少なくなってしまいましたが、図書館などでお見かけになったら是非。
hanakoさん、こんにちは。
いやー男の私でもいいのかこの記述と思う次第で逆にその突き抜け感が気になるので紹介してみました。読者層は若い女性でなく、むしろ著者と同世代の女性なのかもしれないです。
男性への結婚のすすめ本ですか。確かに私も読んだことがないですね。私の世代の男性雑誌には恋愛ゲームのマニュアルはあったけど、結婚のすすめは書いてなかった。
女性の子育ては海外の兵役と同じレベルで、ちょっといってきたけど戻ってきてすぐ復帰とかできるといいですね。あるいは子育てというシャドウワークが表のワークとして認識され、報酬がでるというのも一案なのかなあと思っています。
ご紹介された本もちょっと見てみます。
Neanさん、こんにちは。
そうなんです。この本が参考資料にあげていた赤松啓介の研究についてとても興味しんしんなのです。絶対にこれは読みます。
あらすじだけですが、「セックスが地球を救う」という論調が流行する‥‥というのは、男性同様ふしぎに思いますね。
日本では神道のせいか、女性への信仰が強いような気がしますが、女性が地球を救うというのは、スローガン以上の実体性はないと思います。女性全員が団結して(?)セックスへのかかわりかたを変えろ、そうすれば世界が変わるというのは‥‥
でも、理論をセックスにすりかえる論調って、手を変え品を変え繰り返し繰り返し出てくるんですよね。日本人にはそういう思考の堂堂巡りパターンがあるのかな、とだけ認識しております。
赤松啓介は絶対、おもしろいです!
古い著作は時代の影響をもろ被っている分、多少読みづらいですが、そういう部分をフィルタにかけて読むと、目からウロコがボロボロ落ちます。日本近代の見方さえ変わってくるかも、って本です。
十数年前に一度だけ講演会を聴くおりがあったのですが、声の素敵なお爺さまでした。今でもご存命だと良いのですが……。
三砂ちづるさんのこの本、赤松啓介さんの「夜這いの民俗学」はともに現代において人間として大切な何かが失われつつあることに対する警鐘になるかもしれません。
結婚や少子化の争点が女性にばかり向いているということには非常に賛同できるところがあります。
私自身は男性なので、男に問題があるという本を探したことがあります。
林道義の「父性の復権」です。ぜひ、読んでみてください。男性だけでなく、もちろん女性の方にも読んでいただけると良いと思います。
はじめまして。『週刊文春』でこの本を知り、検索したところこのサイトに出会いました。まだ本は読んでいないのですが、とても興味があります。というのも、私自身2児の母親ですが、周りには未婚も多いし、子供を産んだとしても「1人でお終い」と思っている同年代も多いので、三砂さんの論調に共感する面も多々あるからです。
私は20代前半で子宮の病気になったことがあり、産めない苦しみを抱えている人の気持ちも少しは分かるつもりでもいるので、必ずしも「産む」ことが絶対とは思いませんが、現代人は男も女も生きものとしての感覚に欠けていると感じることはよくあります(まだ考えが整理されているわけじゃないのでうまく書けなくて申し訳ないですが)。
出産はやっぱり何よりすごい体験だと思うし、育児もあらゆる感情が想像以上です。ふりかえれば私の場合、病気を経たために「子供」への執着が高まり、卵子に急かされるようにして相手を求め、妊娠したように思います。子宮を使って子供をつくり、今は授乳でおっぱいを使っている。身体と精神のふくらみを体験できたことは本当に興味深いし、この、当たり前だけど当たり前じゃなくなりつつある生物としての営みの尊さを、何らかの形で伝えられたらと思っています。
以下、宣伝となって恐縮ですが、前述した病気の体験をもとに、昨年『チョコレート色のほおずき』という小説を出版しました(作品社刊)。99年に群像新人文学賞で最終選考に残ったものを出産を機にまとめ直したものです。ほんのちょっとですが、ネット上に記事も出ているので良かったら見てください。(これを書きたかったわけじゃないですが思いの上で重なるので・・・)
小説を書いた23歳の頃の自分とは今は身体・精神感覚が大きく違います。我ながら「女」の変化が面白く、観察はずっとつづけていこうと思っています。
とにかく、この本、読んでみます。毎日へとへとで、次いつ書き込めるか分かりませんが、必ず感想をお伝えします。ありがとうございました。
前回書き込みをした翌日、本を購入し、読みました。
いやー、とても良かったです。自分の言いたいことが論理的に整理してもらって書かれているような、そんな印象を受けました。同時に、今自分は結婚していて子供もいるから冷静に「受けとめられた」けど、病気を抱え、未婚の時だったら痛過ぎる内容だと思いました。
今インドネシア人の友達がホームステイに来ているのですが、彼女の母親は「勉強や仕事も大切だけど、絶対に家庭を持ちなさい」と言っているそうです。(ちなみにその友達はドイツに医学留学中で今回は研修で日本にやってきた、いわゆるインテリ層の25歳)私も母親から「偉そうなことを言う前に子供を産んで育ててみろ」とよく言われてきました。女が子供を産む産まない(結果はどうあれ、そこへ向けて進んでいくか否か)は、結局は女性を育てる親(特に母親)に鍵があるように思います。私は様々なことに反発しながらも、「子供を産め」は正しいと思っていました。それは理屈じゃなくてそれこそ本能や身体が当然そういうものだと信じていました。(だからこそそれが崩れかけた時小説でも書かずにはいられないくらいショックだった)
子供を産んだ時、授乳室での優等生は「おっぱいがたくさん出る」お母さんでした。容姿も性格も学歴も職業も生活環境も関係ない。哺乳動物としての女王様のようで、そんなお母さんのことをかっこいいと思いました。そういう、母親としての能力をもっと世の中が大切なものだと思って欲しい。
インドネシアの友達は子守りがとっても上手です。
それこそ言葉じゃないよなあと思う。
以上、好き勝手書かせてもらいましたが、書評だけじゃなく、こうして書き込みをさせてくれる橋本さんの度量に感謝します。
近々地元の育児セミナーで講演するので、この本のこと紹介させてもらいます。
長々と失礼しました。
こんにちは。
ひとりの母として「オニババ」本の読後の感想をひとこと。
日本人は,「母であること」「母になること」を身体的にも精神的にも過大評価しすぎていると思います。母になろうがなるまいが,結婚していようがいまいが,その女性が充実した毎日を送っていれば,全く問題ありません。私は特に「産んでよかった」と思ったことはないですね。「産まなくても別の人生があっただろう」と容易に想像できますし。
「産んでないと更年期になって子宮が逆襲するよ」みたいな一説がありますが,ある年齢になれば,出産経験の有無にかかわらず,多少体調がおかしくなっても当たり前,すべてを子宮のせいにするのは,「男と女の関係はそれしかない」という思考のせいではないでしょうか。
私は著者と同年代ですが,この本は,女性の女性に対するセクハラとしか読めません。結局,昔のオヤジが言っていた「オールドミスはすぐにヒステリー起こすから扱いにくいなー」と同じ論調でした。「たいした仕事をしてない娘」も,男女共同参画社会にあるまじき発言。「たいしたことない仕事」ってなんでしょう。私の周囲の女性(みなさん40代半ば)も,ほぼ同じことを漏らしていました。「いつの時代の話なんだよ」と。
「あの」さんの「理論をセックスにすりかえる論調って、手を変え品を変え繰り返し繰り返し出てくるんですよね」に賛成です。自然科学系の学者には,もっと探求と検証に徹してもらいたいものです。
こちらの書評に以前書き込みをしたhanakoです。
今日この本を買って実際に読んでみました。
橋本さんの書評だけ読んだ段階と、読了後の感想がまったく変わったので、書き込ませていただきます。
この著者が大筋で伝えたかったことは、現代の女性の身体性が意識的レベルでも無意識的レベルでもないがしろにされているという事実と、そのことへの警告であるように思いました。ないがしろにされている身体性として、性や妊娠出産というものを取り上げているのだと思いました。
大した仕事をしていない女性云云という表記や、性生活が充足していなければ女性は心身ともに充実できずにヒステリーを起こすといった主旨の表記はわかりやすさを誘う手法であって、この著書の本論ではないと思います。
読む前は、タイトルや宣伝文などから「いやな感じ」と思っていましたが、読了後は納得できる点もあって、一読に値すると思いました。未婚でも出産経験がなくても、性を中心にした女性の身体性について書かれた本として読めば、それほど抵抗を感じず、勉強になると思います。
著者が海外フィールドワークで得たデータや経験的知識、現在生きていれば90代である日本人女性の身体性に関する話も説得力があって面白かったです。
ただ、著書として、読者の好き嫌いが分かれると思います。また、性という個人的領域に踏み込んでいる内容ですので、批判反論は当然起こりうると思います。実際に本を手にとった者として言えることは、「とりあえず読んでから」考えたり批判した方がよいと思います。批評や批判文を先に読んで、先入観を持ってしまうのはこの著書の場合はもったいないと思います。
橋本さんがblogでこの本を取り上げて下さったことで、久しぶりに面白い本に出会えました。ありがとうございました。
たまたま見たホームページで、
ほとんどの女性は負け犬でなくオニババだと書いてあったので検索してたどりつきました。
本は読んでません。
オニババ上等!って感じでしょうか。
オニババだろうが、負け犬だろうが自分らしく
本人が納得して生きててたらいいじゃんと思います。
本屋さんでなくて、古本屋に並んだら買おうかと思います。
はじめまして!
↑たぶん、うなさんが書かれている「たまたま見たホームページ」とは、わたしの「生活起業のススメ」というblogかと思います。
三砂先生が、この本を通じて伝えたいことは、
「身体性を失ってしまった現代の女性たちと、それをうながす現代社会への警告」であって、それは、単純に「セックスをしなさい。産みなさい」ということではないと、わたしはとらえています。
天から与えられた「女性性エネルギー」を、(これは、女性だけではなく、男性も持ち合わせているものですが)私利私欲の追求だけにつぎ込むのではなく、
自分以外の誰か、何かを育てることに使わなければ、ほんとうの意味でのエネルギーの発散にはならないということでしょう。
「地球にやさしく」なんていう理屈ではなくて、身体の真からそれを理解するためのひとつの手段として、もっともシンプルで、誰にでも可能な方法が「セックス」であり、「出産」であると思います。
それなくしても、もちろん「女性性エネルギー」を成熟させることは可能ですが、より高い精神性を磨く<覚悟>は必要かもしれない....なんて思っています。
(というわけで、これまたひとつの手段としての、
「生活起業」をおすすめしているわけです)
書籍はまだ未読です。
でも、最近、負け犬ってコトバとオニババってコトバにびっくりして興味もっています。そんなコトバ、同性が使うのって、どうよって。
実際の論調は、未読ですのでわかりませんが、概説を拝読するかぎり、読もうと思いましたし、私の考えに近いところもありそうです。
私の印象では、いまの社会や、女性同士も含めて、「母であること」を過大視ではなく、蔑視とか軽視してる感じがするんです。それはあんまりよくないだろうなっておもってきました。社会全体の仕組みから含めて、女性にばかり、負担がかかるシステムはいろんな意味で真剣に考えないといけないと思っていますので、この本のテーマは近いのではないかと。
近日中に読んでみます。
書店で立ち読みしてみました。男女差別じゃないと思います。男女区別です。
著者の大学教授は私の様な人間をどう認識しているのか、ちょっと聞いてみたくなりましたね。
アリストファーネスの喜劇だったと思いますが、男性の専横に腹を立てた女性が「セックスストライキ」をすることで抗議するのですが…男女とも我慢できなくなって、めでたしめでたし…みたいなのってありましたよね?
人間の性(っていうより肉体)はギリシア時代からさほど変化してませんが、生活は激変してます。
そういった視点で読むべき本じゃないでしょうか?もっとも、私は買いません。誰かから借りたらちゃんと読みますけど。
>助交際の原因かどうかは分からないが、男性である私の、十代の個人的体験を振り返っても、そうだったなあと思う。同年齢の異性とはオールオアナッシングな身体関係であったと思うし、両親や友人との身体接触、抱きしめるなどはほとんど経験がない。
本当にそうですね。
私も10代の頃は身体接触に飢えていました。
しかし、同性や親などとは接触を持ちたくなかったし、子供にべたべたされるのも嫌で、接触欲を満たす方法に困りました。
大学生のとき、部活の合宿に行って、酔っ払って、同期の男の子と砂浜に横になり、手をつないで夜空を眺めていた時間は今でも良い思い出です。
その後、夫の仕事の都合でアメリカに住んだときは、男性とのHUGが快感でした。
SEXにいたらない異性との身体接触って、精神衛生にとてもよいと思います。
まだ本は読んでいませんが、このサイトであらすじを知り、いろいろなところで話題になっているのを知りました。
野口整体の創始者である野口先生の理論と同じと思いましたが、わざわざ今、声高に発言する問題ではないと思います。
古いと感じました。
この方の意図は現代社会における警告だと思いますが、そのように受け取れず、反感、批判が多いのはなぜでしょうか?それは彼女の文章の書き方、本のタイトル名、また彼女自身が書いてあることを実践しているようには、素人には全く感じられないからです。
おそらく学者仲間には受けがいいでしょうが、一般人には理解不能なのです。理屈だけで物事を通そうとるすると、このような結果になるのだと勉強させていただきました。
この本読んで、ショック受けました。
でも本当のことだと思います。
私はもうオニババ化しそうです。
もう取り返しがつきません。助けてください。
こういう本書くなら、私を助けてよ。
責任持って。
この本読んで、ショック受けました。
でも本当のことだと思います。
私はもうオニババ化しそうです。
もう取り返しがつきません。助けてください。
こういう本書くなら、私を助けてよ。
責任持って。
私はこの本を読んで、助産院での出産を決めました。
本当に読んでよかったと思っています。