遺伝子vsミーム―教育・環境・民族対立
■文化の伝達や複製の基本単位 ミーム
ソーシャルネットワーキングは相変わらず、毎日のように登録者がいて、デジタル人脈データベースは順調に拡大中。最近は、少しずつ、サービス内でのメッセージ交換やコミュニティ活動も始まっていて、これから何が起きるのか、わくわくする。
ソーシャルネットワークは、まだ利用者層は限定されているとはいえ、人のネットワークが、どのようなつながり方をしているのか、漠然とながら見えてきた。今の関心は、むしろ、形成されたネットワーク上を、どのように情報が伝播するのか、にある。
最近、ミームという概念が、また注目されようとしている。かつて、一般向けの科学書「利己的な遺伝子」の中で、人間は遺伝子の乗り物に過ぎないとリチャード・ドーキンスは述べた。専門性が高い内容にも関わらず、ベストセラーとなった、この本の終盤に「ミーム」という興味深い概念が提示されていた。
ドーキンスは文化の歴史を、生物進化の歴史にたとえた。文化はたくさんの情報から構成されている。この要素を「ミーム」と呼んだ。つまり、ミームとは「文化の伝達や複製の基本単位」である。遺伝子が複製と突然変異を繰り返しながら変容するように、ミームもまた複製と、伝達上のミスによる突然変異を繰り返す。生物が適者生存の原理で進化してきたように、情報もまた、そのせめぎあいの中で、生き残りやすい情報が後世に伝わる。
■増殖したフリーのPhotoshopミーム
必ずしも正しい情報、善い情報が生き残るわけではない。他の情報に対して強い、伝播しやすい情報が生き残ることも多い。ゴシップやデマは広がりやすい。無論、理性や知性のフィルターが、そうしたミームの過度な暴走を抑制するわけだが、理性や知性の判断内容も、よくよく考えてみれば、過去に競争を勝ち残ったミームに過ぎない。それが絶対的な真理というわけではない。遺伝子に善いも悪いもないように、環境に柔軟に最適化できる強さを持ったミームがすべてを決めている。
ミームは、だいたい、そういう話である。
実はおととい、私のブログは瞬間的に圧倒的なアクセスを集め、1日あたりの訪問者数が過去最高を記録した。原因はこの記事だった。
・もうPhotoshopは要らない? PictBear Second Edition
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001605.html
ハッカー、萌え系の超人気サイトに、なぜか取り上げていただいたおかげで、その影響下にある数十の、子サイト、孫サイトが一斉にリンクをはって下さった。おそらくPhotoshopというキーワードが反応しやすかったのだと思うが、1日に8千人もがこの記事にアクセスしてきたのには正直驚いた。”Photoshopのフリーの代替物”というミームが、24時間の間に何千倍にも増殖した結果であると言える。
同じようなことが起きた人もいる。
・NDO::Weblog: 動画ファイルナビゲータの衝撃
http://naoya.dyndns.org/~naoya/mt/archives/001118.html
この本は、ミームの進化論で現代世界の状況を解明するという野心的な本である。最も強いミームのひとつに”神”の概念がある。古今東西、宗教は必ず存在し、強く信じられ、伝播しやすい。宗教の中心となる神の概念こそ、心(というミームプールの)のウィルスなのだと述べたドーキンスの言葉が紹介される。この神のミームが強すぎて、原理主義的な争いが勃発しやすいのだと歴史を振り返る。神はきっとフリーのPhotoshopより何百万倍も強力なミームなのだろう。繁殖率が高いのだ。
■ミーム繁殖価と、伝承者としての長老の価値
遺伝子の場合、繁殖期を過ぎた生物個体には、繁殖という面だけで見ると大きな価値がなくなる。セックスできない、子供を産めない個体は子孫を増やせないからだ。繁殖上の価値を繁殖価と言う。著者は、ここでミームの場合の繁殖価とを比べてみせる。すると、せいぜい80年程度の寿命の人間の場合、遺伝子の繁殖価はその前半でピークを迎え、後半は価値がほとんどなくなる。これに対してミームの繁殖価は100年を超えて続き、時間経過しても、それほど低くもならない。人間の死後に業績が認められて広く伝播する場合のような、繁殖価が時間経過と共に上がっていくものもある。
たくさんのミーム繁殖価を持った人間。それは遺伝子の繁殖価はなくなった老人である。知識を蓄えていると同時に、社会的人脈や信用、そして伝える技術を持っている。老人のミーム伝承を次の世代に、いかに効率的に行うかが、文化の質を決めていくのではないかとの主張が展開される。これはなんとなく、納得できる。
ソーシャルネットワークを見ていると、実際の年齢はともかく精神年齢的には同じレベルの集団が群れているなと感じる。大人、長老が不在なのだ。現実世界で本当に影響力を持っている人たちが入っていないケースが多いという話も、先日のWeblog勉強会の発表にあった。
情報のセンダーとレシーバーだけでなく、伝播の方向性を整えながら、強化するファシリテーターやオリジネーターといった役割が必要だということかなと思う。
ブログもまた似ている部分があると感じる。精神年齢的に同質の群れに思える。海外の統計では、ブログユーザは比較的若い集団だと判明している。若いということは、他人の影響を受けやすい。が、逆に、影響を受けたことを人には言わなかったりする性質がある(後述の実験でもそのような結果が出ている)。
そこへいくと、他人の意見に流されず、自己の経験とバランスのよい状況判断で、知恵を紡ぎだせる長老的存在が欠けているのが、ブログの問題であるようにも思われる。長老不在のネットワークでは、情報はひたすら、平面的に急速に伝播するが、体系化されたり、上方向へ昇華、進化することがない。騒ぐだけ騒いで、”祭り”の後に何も残らない。
ブログにせよ、ソーシャルネットワークにせよ、そうした長老を囲む文化が必要なのではないかと、ふと思った。つまらない権威は要らないが。実際、学問や文化の領域で、健全に発展している世界では、長老が(威張っているのではなくて)大切にされているように思う。
■オンラインのミーム伝播の研究
こんなニュースを見つけた。8万以上のブログのリンクを対象に情報の流れを分析した研究のレポートである。
・人気ウェブログは頻繁に「無断引用」――ウェブログ間の情報の流れを解析
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20040309206.html
「今回の研究に参加したエイタン・アダー氏は「ウェブにおける重要な人物は、(外部からの)リンクが最も多いサイトの運営者ではなく、ウェブログのネットワークで流行を引き起こす人物だということがわかった」と述べている。
こうした流行のもととなる人たちを見つけだすのは難しい場合もある。興味深いアイディアやニュース記事を最初に指摘した人が、他のサイトで必ずしも引用元として名前を明記されるわけではないからだ。
実際に、HP研究所の調査でも、あるアイディアが10以上のウェブログに広がった場合、70%のウェブログが、そのアイディアについて自分たちよりも前に言及していたウェブログにリンクしていないことが明らかになっている。 」
影響を受けやすいのに、元ネタは隠す若者の特性がでているのだと思う。(私もまたその一人なんですけどね...)
関連するニュースとして、本格的なミーム追跡プロジェクトの話もある。
・ブログ間の情報伝達をリアルタイムに追跡するプロジェクト
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20040525204.html
ここで紹介されるのは、ミーム拡散プロジェクトというまさにミームな研究実験。
・The Memespread Project: Spread this Meme!
http://www.arbesman.net/meme.php
「
まずアーブスマン氏は、自分のウェブサイトのことを『ボインボイン』『スラッシュドット』『コトキー』という、3つの人気ブログに伝えた。このウェブサイトは1ページのみで構成され、このページを見た日時、閲覧者のIPアドレス、可能な場合は、参照先のURLを記録するというものだった。そして訪問者に対し、「このミームを広げて欲しい。このサイトにリンクし、友達にも送って欲しい。この言葉を広めてもらいたい」と要請した。
」
こんな実験を開始した研究者が、そのログから、オンラインの情報伝播のパターンを分析しようという内容である。その結果、どこに流せば広まりやすいかを特定した。伝播しやすいサイトの作者とは別に、本当の影響力を持つ人物がいるということのようだ。
祭りの伝播ネットワークからは少し離れて身をおいて、経験から、一次ソースとしての価値ある自分の意見を言えること。その意見を尊重して聞く周囲の人物がいること。それが多分、オンラインの影響力を持つ人物像、長老像なのではないかと思う。そうした人物を、どうやって、人脈ネットワークやリンクのネットワークから、見つけ出すかが今後の課題みたいだ。
■後半は強引だが、着想は面白い本という結論
書評に戻ると、この本の後半はかなり強引である。
民族対立や、荒れる子供、低い倫理感などを、すべてミームの過剰な増殖に求めようとしている。ミームをミームで制すことで、バランスの取れた世界を作ろうということのようだが、概念レベルのミームと、現実世界に起きていることの対応付けの説得力が弱い気がした。
ただ、ミームを、現実世界の問題解決に向けた思考のツールとして、積極的に使ってという、アイデアは、面白いなあと感じる。正しい情報、善い情報という考え方から、少し離れて、繁殖値の高い情報、それを制す情報は何か、というレベルで客観的に、情報の流れを見ることが大切なのだと思う。ソーシャルネットワークやブログの研究は、次第にその仕組みを解明しつつある。
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