「しきり」の文化論
■しきりの変遷史
公私のしきり、ウチとソトのしきり、聖俗のしきり、自己と非自己のしきり。
しきりとは、世界を分類する行為であり、そこには文化や時代性が強く反映されている。伝統日本家屋の襖や障子によるしきりは、欧米の壁と違って、しきりの向こう側の存在の気配を、意識させる。障子は光を遮断しない。衝立や簾もまた空間を曖昧にしきる。こうした、ものや装置によって、私たち日本人の曖昧な精神性が育まれてきた。
一方、欧米の近代のプライバシーやアイデンティティという概念は、自己と他者を徹底的に弁別する。西欧の家屋は壁によって空気も光も音も遮断されている。外の自然環境と、人工居住環境は分断され、個室を与えられた子供たちは、他社と切り離された個人(Indivisual)となり、近代的な主体として成長していく。
仕事場と自宅という意味での、公私のしきりというのは19世紀の産業ブルジョワジーが作り出した比較的新しいしきりであるらしい。現代人は、ビジネスマンならスーツを着て、遠隔地の仕事場へ出勤する。家に帰ればくつろげる普段着に着替えている。自宅と会社の建築や内装はすぐに見分けられる違いがあるのが普通だ。
だが、17世紀のヨーロッパの権力者の館では、天蓋つきの大きなベッドのある寝室を、公務にも使っていたという。そういえば、ドラマに出てくる戦国時代の武将”親方様”のいる場所も、自宅であり公務の場であるようだ。そこには、まだ公私の区別が存在していなかった。
これに変化が起きたのは近代になって、生産性向上のためにいかに労働を管理するかが重要な課題となってからだと著者は言う。オフィスと家具は規格化され、象徴性(個別性)を失っていく。それを使う労働者や経営者もまた変容していく。職場と住居は分離され、異なるデザインが施されるようになった。
職場のレイアウトもまたしきりである。当初は、管理者が労働者を見渡し、監視する配置が好まれたが、生産性の追求の結果、作業の流れやコミュニケーションを重視するレイアウトが登場する。そして、最新のコンピュータで情報化されたオフィスでは、物理的なしきりよりも、情報のしきりが大切になってきた、という。
■情報のしきり:コンピュータネットワーク
コンピュータネットワークにも仕切りがある。ファイアウォール、サブネット、ドメイン、ディレクトリ、メールボックスなど、組織や個人の間に、情報レベルのしきりを作っている。コンピュータを使ったデスクワークがメインのビジネスマンならば、パソコンさえあれば、机がどこにあろうと問題ではない。自宅であっても同様の環境がある。その代わり、ネットワーク内の情報のしきりが生産性を左右することになる。
で、しきりの文化論的な観点から、ネットワーク設計を研究した事例って少ないなと思う。セキュリティでがんじがらめにされたネットワーク、上司にすべてが監視された感じのするネットワークは、この本で言うなら近代化直後の旧タイプのしきりだと言える。生産性を高めるのであれば、もう少し、風通しの良い、伝統日本家屋のようなしきりが必要なのではないかと感じる。
最近、仕事で企業の情報システムについて、識者に連続インタビューをする機会があった。面白かったのは、ナレッジマネジメントに成功した会社に共通するのが、現場でのシステム上の創意工夫の”黙認”という慣例があるということ。情報システム部門的には原則は禁止なのだが、実際には、現場が外部のASPサービスを利用したり、フリーソフトのインストールを行うことを、ある程度、見てみぬふりをするのだ。
情報漏洩問題やセキュリティ問題が事件になるご時世ではあるが、できる会社の情報システム部門には、安全の向上と保守管理コストの削減だけでなく、同時に生産性の向上を実現するための、自由度を与えるしきりの工夫が必要なのだと思った。安全・保守コストと自由度のバランスが取れたシステムの質を表す指標を作っても良いかもしれない。
企業組織内のコミュニティもまた生産性を引き上げているようだ。部門、役職、社の内外を越えて、水平的に知識を交換するための仕組み。今なら主にメーリングリストがそれにあたる。無論、まだそうした取り組みは、先端的な一部のユーザの間でしか起きてはいない。そうしたコミュニティを意図的に発生させたり、コミュニティへの貢献や実績を、直接に査定評価したりする制度が確立されていないからだ。
情報によるしきりは、デジタルだからといって1か0かという考え方に収まる必要はないのだと思う。しきりの向こう側の存在の気配を意識させるような、障子や襖のようなしきりも、これからのネットワークは実現していく必要があると思う。風通しの良いしきりということ。
具体的にそれは何かについて明確な答えはないのだが、それに近いアプリケーションを挙げてみる。
・インスタントメッセンジャー
仲間のオンライン状況や作業状態がわかる
・Mixiの足あと機能
誰が自分のプロフィールを最近のぞきにきたかが分かる
・関心空間の更新チェック機能
チェックした人物の投稿状況が分かる
アウェアネス情報、アンビエントなインタフェース、ソーシャルネットワーキングといったキーワードが関係しそうに思うのだけれど、他に曖昧なしきりを通した情報の相互共有ってどんなものがあるだろうか。考えてみよう。
トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 「しきり」の文化論
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.ringolab.com/mt/mt-tb.cgi/1317