知識経営のすすめ―ナレッジマネジメントとその時代
■SECIプロセスなど基本のサマリー
ナレッジマネジメントの重鎮、野中氏、紺野氏の共同執筆による入門書。
そもそも何故、知識経営なのか。
冒頭で、マイクロソフトとコカコーラの例が挙げられる。この二つの企業は企業規模や売り上げでは、世界の大企業の中で中位なのだが、時価総額ではトップ10に入る(この本の執筆時点)。ブランドやソフトウェアという知識資産が、規模や売り上げ以上に、市場に高く評価されていることになる。そして、知識ワーカーが知識を生み出し続ける企業が21世紀の経済の主役となると多くの経営者がアンケートに答えている。知識が名実ともに、企業経営の中心となったのだと始まる。
KMの大家である野中郁次郎氏のSECIプロセスはあまりに有名で、大抵のKMの本に引用されている。知識には、文書や言葉になった形式知と、職人の熟練のような言語化できない暗黙知の二つがあるとし、組織における知識創造のプロセスは、ふたつの知が、次の4つの段階を螺旋状に上っていくプロセスだ、という理論。
共同化 身体・五感を駆使、直接経験を通じた暗黙知の共有、創出
表出化 対話・思慮による概念、デザインの創造(暗黙知の形式知化)
統合化 形式知の組み合わせによる新たな知識の創造(情報の活用)
内面化 形式知を行動・実践のレベルで伝達、新たな暗黙知として理解・学習
とても完成度の高い理論で、これはそのとおりだなと思っている。
情報システム主導によるKMは、統合化ばかりを強化しているのが弱点だと思った。この知識スパイラルをまわすためには、4つのプロセスがバランスをとらないといけない。個人の内面や、個と個の間(人間、ジンカン)あたりがポイントなのではないかなと思いながら、読み進めた。
■「知識とは信念である」
この本では、たくさんの理論や要素のリストが紹介されているのだが、なるほどと思ったのは二つある。
ひとつは知識とは信念であるということ。このセンテンスについては、昨年、日経BPの連載でも一度書いた。
「
ナレッジマネジメントの権威、野中郁次郎氏の著書の中で、知識の定義のひとつとして、「知識とは信念である」というセンテンスがあった。知識とはそれを持つ人にとっては、これまでのところ正しい「真」であり、信じていることだ、とし、この性質に「正当化された真なる信念(Justified True Belief)」という呼称を与えている。別の学者の「行動のための能力(Capacity To Act,K.Sveiby)」という定義も同時に紹介されていた。[橋本大也]
私たちは、知識を行動の原理として使う場合、その知識が正しい、少なくとも最善だ、と思っているものだ。だが、この場合、客観的な正しさや論理的な正しさは必ずしも求められていないように思える。
」
この続きは詳しくはこちらで。
・情熱的な発信者と知識の影響力
http://sentan.nikkeibp.co.jp/mt/20031111-01.htm
思い込み知識のパフォーマンス、モチベーションと情報感度、その強化方法、ITと個の影響力の範囲拡大、ポスト・デジタル・デバイドの丸裸の個人 影響力を持つ知識の使い手の戦略、悪貨と良貨を見分ける難しさと必要性。
■場と愛嬌
もうひとつは場こそ重要だということ。
表出化の場として会議やお喋りという対話場がある。「対話場は情報システムを介して創出することも可能です。ただし、対話の場自体がサイバー・スペース上にあるのではなく、チームやグループの考えをまとめるのに情報技術を活用するというのが有効な方法といえます」という。当たり前の話であるが、これはKMシステムの導入担当者がしばしば間違う所だと思う。政治家がハコモノを重視してしまうのと同じように、KM担当者はまずシステム主導の知識マネジメントを考えがちである。使われない社内掲示板が作られてしまう原因はここにあるだろう。
対話場というのは、自分や他人から情報を引き出すインタラクションの場である。そうした場は設計が難しいと思う。上から場のレイアウト、テンプレートを与えても、それだけではインタラクションは起きないものだ。例えばどんなによく設計された会議室であっても、意識統一のできていないメンバーを入れてしまったらアウトプットはでない。
私が場の技術でポイントになるのではないかと考えている要素に「愛嬌」がある。知識による理論武装などという言葉があるように、知識や信念に固まった人間同士は、知らず知らずのうちに、鎧を着てしまっているのだと思う。この鎧を溶かすのが「愛嬌のある人」なのではないかと思うのだ。
・放っておけない
・見逃せない
・ホロリとさせる
・ツッコミたくなる
・微笑ましい
・良い意味でのバカ
真の”ファシリテーター(会議の促進者)”とは、場のレイアウトを外や上から与える人ではなく、参加者と同じ視点から、場の雰囲気を、今あるものから、あるべきものへと連続的に変容させることのできる人であるような気がしている。そのはたらきを強く持つのが愛嬌だと思うのだ。愛嬌は知識インタラクションの呼び水であり、アフォーダンスであると考えている。
「知識がある」、「やる気がある」だけでなく「可愛げがある」人、「バカになれる人」を組織に増やすことが実はナレッジマネジメントの重要なポイントになるのじゃないか、そんな風に最近、考えている。そういえばブックオフの本にも「顔を赤くして必死にプレゼンするバカこそ採用すべき」なんてことが書かれていた。少し関係があるかもしれない。(この本の論旨とはだいぶズレた)
この本は、KMの理論や要素リストが多数紹介されており、頭が整理される。入門書としてとてもよい本だなと思った。
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フリーのアプリケーションサーバでニュースサイトを動かすノウハウをウン千万円のナレッジベースに書いたら
SecMode=2というデータフィールドが付け足されて他人から見えない状態になりました
しょうがないのでKNOW WHOからリンクするようにリンクしたら
ナレッジどころかQ&Aも書き込みもなくなったり
ついにはプロフィールが変更できなくなったり
ついにはSecMode=2の投稿がリンクからも飛べなくなったり
色々楽しいことになってます
結局KMって担当者とその取り巻きだけでおもしろがるものじゃないんですか?
なんてKM学会の幹事企業で起こったことなんてとても言えません
橋本先生のサイト限定の内緒の話です