天才はなぜ生まれるのか
■天才を生むもの
知的障害が天才の秘密であると言う、先日書評を書いた本と極めて似たテーマ。6人の著名な天才の人生について一章ずつ語られる。この6人には脳に何らかの異常が認められ、その結果、
トマス・エジソンは注意欠陥障害でいつもうわの空
アルバート・アインシュタインは読み書きと計算ができず
レオナルド・ダビンチも同様で
グラハム・ベルは他人の気持ちが理解できない
クリスチャン・アンデルセンは文法が理解できず、
ウォルト・ディズニーは多動症で落ち着きがない
という機能障害を抱えて生きていたという。だが、脳は、その欠陥をカバーするために他の能力が異常に発達した。注意が狭いことが逆に人並みはずれた集中力につながったという説。だから、天才たちを語る上で、「障害があったにも関わらず」という表現は正しくなくて、「障害があったからこそ」天才になったのだという仮説を著者は展開する。
「
障害というのは必ずしも能力が劣ることだけを意味するわけではない。機能が不全の箇所が生ずると、それを代償して機能の亢進も起こる。生涯を持ったゆえに、障害を持たない場合には、生じえなかった能力が開花することを、無視してはならないだろう。それは個性にほかならない。
」
弱さが強さの秘密という見方は勇気付けられる半面で、障害を持つ人のうち、天才になる人の数は圧倒的に少ない現実もあるだろう。多くは日常生活や社会参加が難しくて苦しんでいると思う。その事実が分かっただけでは、状況は変わらない。だが、仕組みがわかれば、いずれは障害を天才に変える魔法を、医学は作り出すかもしれないことに期待したい。
著者は、知的障害と天才の仮説を述べるだけでなく、同時に天才たちの本当の姿を、丁寧に資料にあたって調べ上げた。天才たちの伝記には事実を捻じ曲げた表記が多い。私たちが子どもの頃に聞かされた内容がいかに間違っているかがわかって、とても面白かった。
エジソンは研究の人ではなく、他人の成果の横取りも辞さない、かなり強引な戦術を使うビジネスマンであること。レオナルドダビンチは万能の天才と言われるが、実は読み書き計算もままならず、言葉にもなじめず村八分状態だったこと。ディズニーが多動症をごまかすために園内のゴミ拾いをしていたことが、清潔なディズニーランドにつながったことなど。なぜ彼らの伝記は、ねじまげられたのかの秘密。
読み終わって気になったのは、天才の彼らは幸せだったのだろうか?という疑問。真実の伝記を読む限りは総じて、他人に理解されず寂しい内面を抱えて生きていたように見える。
天才の遺伝子を発見することも重要だけれど、幸せを感じる遺伝子を発見することの方がもっと価値があることのような気がしてきた。幸福についての研究は大昔からあまり進んでいないと別の本で読んだ。肝心のことがわかっていないのだ。天才もお金持ちも、結局は幸福でなければ意味がない。
人類史上、誰が一番幸福だったのだろうか?
私たちはその疑問にはまだ答えられないが、恐らく能力や財産の量に正確に相関するわけではないように思える。少なくとも天才たちは孤独で悩み多い人生を送ったのだから。
人を幸福にする技術が次世代のテクノロジー進化の方向性になって欲しい、と思った。
そういう科学をなんと呼ぶだろう?○○の科学か。
そういえばあったなそういうの(笑)
オチがついたところでまた明日
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