書きあぐねている人のための小説入門
私は万年、小説家志望。いつ書くのだオマエは?ええ、そのうちそのうち、といいながら、日々は過ぎ、青年老い易く学成り難しといいますな、いいませんか、意味分かりませんか、そうですか、南無。
書きあぐねてるとはそういう自問自答状況のことに違いない。この本を手に取った動機である。
95年に「この人の閾」で芥川賞を、その後の作品で数々の文学賞に輝く小説家、保坂和志による小説作法の書。さすがに気鋭の小説家が書いただけあって、文句なしの一級品だと感じた一冊。作法論にも関わらず、感動した部分も少なくない。
冒頭の小説の本質を語る部分からまず引き込まれる。少し長めに引用してみる。
「
「小説とは何か?」を考えるとき、私は小学校時代の二人の同級生のことを思い出す。一人は四年のときのMさんで、社会科の授業で先生が「”昔”というのは、いつのことでしょう」という問題を出し、生徒全員に小さな紙に答えを書かせていたときのことだ。
集まった先生がパラパラ見ながら、読んでいく。「10年前、佐藤、100年前、山本さん。10年前、保坂、50年前、鈴木。また50年前、大久保.....」こんな感じで続いていったのだが、Mさんの答えだけは違っていた。
「お母さんのお母さんのお母さんが生まれる前」
」
二人目にこんな例が続く。
「
二人目は小学校六年の同級生だったW君で、卒業文集にまつわる思い出だ。全員がそろいもそろって「桜が満開のなかをお母さんに手を引かれて歩いてきた六年前が、昨日のように思い出されます」「四月からは希望に胸をふくらませて、中学校に進みます」なんてことを書いているなかで、W君だけはこう書いた
「四年のとき ながしの すのこで ころんで つめを はがして いたかった」
」
小説の原型、小説の書き出しとして使えるのはこの二人の文章だけだと著者は自論の語りをはじめる。もうこの引用だけで、先が気になってくる。個の手触り、社会科されていないもの、身体性、小説の生まれる瞬間。著者の経験と感性に裏付けられた、小説に対する哲学が展開されていく。既にあるものは書くな。同時代の小説の表現論として、小説家志望の人間なら読んでおくべき貴重な情報だと感じた。
会社員時代にいかにしてデビュー作を書くに至ったか、一作目をどう書くべきか、など、成し遂げた人間でなければ語れないノウハウ、風景を書くことは特別な意味を持つと言うアドバイスや、ストーリーとは?テクニックとはという各論が続く。どれも、実際にこれから書くものへの、真摯な姿勢の書き方がいい。無論、著者の作品は独特なので、小説論としては偏りも感じられるが、素人の投稿作品にありがちなパターンの批判などはすこぶる具体的で参考になる。
丁寧にかけばかくほど伝わるとは限らず、抜けや雑な文章の方が、伝わることがあるという意見は、なるほどなと思う。ビジネス本執筆の仕事とは、ある意味、対極にあるわけだ。ビジネスや技術の記事ばかり書いている私は、どんどん、小説家から遠ざかっているのだなと感じた。
前半の本質論から後半の各論まで、思想系の小説論並みの内容の濃さを持っている。実践者が理論を語れるとは限らないものだが、この著者は例外のようだ。自分の仕事をメタな視点で冷静に観察し、持ち前の筆力でそれをまとめあげることに成功している。名著。
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愛読しているブログの書評を読んで、未読の小説家の著作だが読んでみた。そこらにあふれているくだらないマニュアル本とはまったく違った、哲学書のような小説執筆の入門書だった。大 続きを読む
この本はずっと気になっていながら、後回しにしていました。ぜひ読んでみようと思います。
作品だけを読んでいる私の印象を少し。目の前の風景や時の記憶を、淡々とスケッチする著者の作風には、読み手の五感を開かせる緻密な仕掛けがあるように感じていました。彼の描く作品はありふれた日常が多いけれども、踏み込めばさまざまな色や匂い、音、味さえも感じられる時空間が拡がっています。それは、感覚を閉ざしたままでは感知しえない。保坂作品が時に退屈と評されるのは、このあたりの理由が関わっているのだと思います。読者にラクをさせてくれない作家、そこがいいのですけど。
著者公式サイト[パンドラの香箱] http://www.k-hosaka.com/
の「創作ノート」コーナーに、本書には書かれていない個別作品の狙いが語られているそうです。興味深い内容です。