こころの情報学
■情報論のパズルを完成させる本
情報学、動物行動学、人工知能、現象学、言語学、社会学のキーワード(例えば、アフォーダンス、フレーム問題、オートポイエーシス、など)を総合し、情報という視点から人のこころを説明する本。情報科学のキーワードが無数に登場し、著者は本来、別次元である、それらのキーワードをパズルのように見事に組み合わせて、人のこころの意味を考えていく。情報科学好きにはたまらないワクワク本。
私が読み取れたこの本の概要。
著者は、情報を「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」と定義している。すなわち、心(あるいは心的システム)を持つ生物がいなければ、情報は存在しないという<生命情報>の立場に立つ。つまりヒトや動物がいないと情報も存在しない。
これに対するのは記号の意味が捨象された<機械情報>の世界であり、記号の伝達と効率のみの世界。コンピュータ同士の情報のやりとりや、意味が固定化された社会の情報を指す。(思うに、セマンティックWebが扱うのは機械情報である。)
この生命情報を処理するのが、心的システム(あるいはこころ)であるとする。認知活動により意識にのぼる情報のパターンが、言語の意味作用や、他の情報との出会いにより、ダイナミックに変化する遷移のプロセスが「こころ」の正体という定義である。
こころはオートポイエーシスの性質を持つとも言う。オートポイエーシス(自己創出性)は、このメディアアート「顔ポイエーシス」を見るとわかりやすいと私は思ったので紹介。(この本で紹介されているわけではないです)
・『顔ポイエーシス facepoiesis』と遺伝的絵画(Genetic Paintings) について
http://www.renga.com/facepoiesis/tabula/index.htm
人が描いた顔の絵を交配し、別の顔を生成していくプログラム。元の顔のパーツや配置の要素情報が遺伝子として引き継がれて、無数の顔が増殖する。これらの顔の中には、描き手が将来描くかもしれない顔までもが含まれているかもしれない。
つまり、外部環境の情報(人が描いた絵、前の世代の顔)を取り込んで、何らかの選択パターン(遺伝メカニズム)を使って、自律的に新たな意味(顔)を生み出し続ける性質がオートポイエーシスと説明できると思う。
こうして定義された、「こころ」と、言語、社会、環境、技術、インターネットなどとの関係が説得力ある統合として語られていく。広い研究領域の成果が次々に紹介されては、このキーワードはここに組み込める、といった風に、パズルが完成されていくプロセスは知的好奇心を刺激されまくり。
電車を乗り過ごして最後まで読んだ。一般向けに書かれた本だが、一通りのキーワードは事前に理解しておく方がわかりやすいとは、思った。私は今、知識不足で不明で残った部分を勉強中。
この著者の西垣通教授の著書は、情報を考える上でいつも啓発される。理系のはずなのに文系の領域にも詳しく、現代思想まで踏み込んで現代を論じるすごい人。思想だからか、この本は5年前の本だけれど、まるで色褪せていない。
・東京大学 西垣研究室
http://www.digital-narcis.org/nishigaki/
西垣先生とは、4年前にパネリスト参加したイベントで司会をしていただいていたことに、裏表紙の写真を見て気がつき愕然とする。このイベントの第一部は先生の独演会「ネット社会の新しいパラダイム」。当時、まだ著書を読んでいなかった私は、自分の出番の準備をしながら、ポカーンと聞いていたけれど、今この議事録を読んでやっと内容がわかった。
ああ、もっとお話しとけばよかった。今度何かでお会いできる時のために他の著書も読んでおこうと。
・デジタル社会の光と影
−これからのネット社会の新しいパラダイムを探る−
@情報通信総合研究所
http://www.icr.co.jp/newsletter/report/2000/crisis/1-0.html
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そのGAはオートポイエーシスじゃないと思う。境界の自己決定みたいなのがないから。
鈴木さんこんにちは。
「顔」の例がアナロジーとして間違っているという意味ですか?
そです。アートとしては素敵だけどね。
うーん今回は私の説明戦術の失敗かも。
オートポイエーシス
近似しつつ面白い例を説明材料に選んでもう一回このテーマ書いてみます。
『顔ポイエーシス』の作者の安斎です。橋本さん、作品をとりあげていただきありがとうございます。
『顔ポイエーシス』は、Ken Suzukiさんのおっしゃるとおりオートポイエーシスではありません。同じ種から出発すると、しだいに定常状態に陥ります。
http://www.renga.com/facepoiesis/tabula/
に書きましたが、『顔ポイエーシス』は創作におけるオートポイエーシスとはなにかを考えるための、出発点たろうとしています。自分が生きているうちに、自分が死んだ後もさらに新しいスタイルを作り続ける仮想画家を仕込むにはどうしたらよいか、という問いを掲げて、次の作品を構想中です。